8月21日

今年の、たたらの楽校夏期講座が開かれました。

会場となった根雨楽舎は早いうちからお客様がおいでになり、40人を超える聴講者で部屋はいっぱいになりました。

 

今年のテーマは、川平山

川平山というのは、江府町にあった近藤家のたたら場。

ここの関係者のかたが、川平山操業当時の様子を語られた録音テープが公開されました。

内容は、今まで多くの研究者の皆さんが報告してこられた、たたら場の様子を裏付けるものでした。

~~~~~ここからは影山猛先生の論文を基にした季節君の推測です~~~~~

 

明治中頃、江府町荒田にあった城ノ段鉄山は、森林資源が枯渇して操業を停止せざるを得ない状態でした。

そこで支配人であった金七は近藤家にたたら場の移動を提案します。

候補地として挙がったのは俣野と川平。

俣野は10か所ほど鉄穴場があり印賀と並び称されるほど良質な砂鉄が取れるところでした。

川平周辺は日野川の川砂鉄がよく取れるところで、神奈川と小字があるところは、昔はよく川砂鉄が取れたので金川といったのが語源だそうです。

 

そんなこんなで移動先を検討したのですが、近藤家が出した結論は、今の荒田からの引っ越しが容易な川平にしようとのことでした。

 

そうして明治24年から川平山は操業を開始します。

明治28年には高齢で仕事ができなくなった金七の交代として(板井原)大西山支配人であった武信謙治が川平山の支配人となります。

ところが武信謙治の息子が東京に進学したため、武信家は東京に移住してしまいました。

 

おりしも川平山ではトロンプから水車ふいごに装備が改革され、鉄もよく沸くようになり川平山は一層反映しました。めでたし、めでたし

 

というのが影山猛先生の伯耆文化研究などの書物を参考にして季節君が描いたストーリーです。

川平山は国道からも見えます。日野川をはさんで川平発電所のすぐそばにありますので

通りすがりに見てください。