毎月最終日曜は古文書の勉強会です。
今日は、かな文字の勉強でした。
昔の平仮名は、崩し字であるのに加えて、色々な漢字をひらがなにあてて読ませるので、慣れないうちはかなり難しいです。
例えば「者」を「は」と読ませるのはごく入門編です。
「盤」を崩して書いて「は」と読ませたりもます。

そんな勉強を2時間ばかりして、昼休憩の後は日野町に残る古文書の調査。
ここで、実際に残された古文書相手に腕試しとなるのですが、これがなかなか難しい。
でも、この古文書の山のなかから、今まで知られていなかった資料が見つかったりするので面白いところでもあります。

今回は明治の土地台帳が多くありました。
明治もまだ、江戸時代に続いて崩し字の時代です
「鑪村」とか「鍛冶屋前」とかいう地名が書かれています。
多くの場所はすでに現地調査しているので驚かないのですが、ときどき未調査の場所にたたら関連の地名が出てきて驚かされます。探せば遺跡が出てくるのでしょうが、あまりの多さにちょっと食傷気味。

そんな中で、「季節君、こんなの出ましたけれど」と向かいの席の先生から手渡されたのが、
「腰物目利口伝書」と書かれた汚い書物。
20260726_141055
寛政元年
腰物目利口伝書
酉11月 日
遠ケ崎屋
助蔵



。。。。。。
しばし、無言で書物と対面します。
そのつかの間にいろいろな思いが頭をよぎります。
年代は寛政元年。江戸時代中~後期です。
黒坂は小さいといえども城下町だし、武士も多くいたので刀にはうるさかったのかもしれません。
ましてや鋼の大産地です。
刀剣商もいたのかもしれません。
そんな刀剣商が持っていた書物でしょうか。
ちなみにネット検索すると、「腰物目利書」というのが、国立公文書館にあります。
ちらっと見た限りでは、国立公文書館の蔵書とは内容が違っています。

これは、、、、、、う、れ、る。 (; ・`д・´)
きっとマニアは欲しがる。
そんな雑念が頭をよぎりますが、じっとこらえて、盗るのは写真だけにしました。

口伝というのが怪しいです。語り伝えられてきた極秘の見極め術が書かれていそう。
遠ケ崎屋というのは刀剣商でしょうか。
ただの鑑賞会ではなく、実際に日本刀が用いられていた時代に、これを取引するため刀剣の良しあしを判断するための資料となるもの。

す、すごそう。
当時の刀剣商が夜な夜なこれを読んで勉強していたのでしょうか。

おもえば、明治の土地台帳に挟まれて私のもとにやってきたこと自体が不思議です。
因縁を感じます。

これから、経験の浅いかな文字解読も駆使しながら解読に挑んでみようと思います。
江戸時代の目利はどんなところに目をつけて刀を見ていたのでしょう。
40ページほどありますから完読は無理かもしれません。
ページの破れや欠けはないようですし、刀の絵も描かれていて、丁寧に解説されています。
内容は皆さんに少しだけ教えて進ぜます。
今後の解読にご期待ください。