さあ。いよいよ舟場山遺跡の見学会です。
駅前を10人ほどで出発します。
舟場山というのは、根雨に最も近いたたら場。
古文書を見ると、舟場地域内のあちこちにたたら場があったようなのですが、すべて舟場山と表記されています。
近藤家文書によると操業者は
文化2年 根雨松田家伊兵衛
文政1年 根雨松田家八十次
天保13年松田政蔵
明治7年 近藤喜八郎
となっています。 (影山猛先生論文)

さらに伯耆誌では享保19年に舟場間地山というのが記載されています。

境鉄山融通開所の記録には二部足羽伊右衛門が舟場山開設のために借り入れをしたことが書かれています。

慶応元年に月瀬村の西村家が持っていた舟場山を根雨尼子屋太助が買い取り、さらに近藤家が買い取った記録もあります。(池本先生)

いろんな文書にいろんな形で舟場山は出てきていて、どこがどうなのか、まったくわかりません。

私たちが舟場で見つけた、たたら遺跡は(地名でいうと)鈩山ヒヤ谷投げ谷投げ谷の大鍛冶と4か所あります。
おそらく大きさからいってヒヤ谷は当時根雨で最大の鉄山師だった松田家の操業。
投げ谷の大鍛冶は、記録から近藤家だろうと思われます。

そして、今回はヒヤ谷を視察することになってます。
石垣が何重にもなっていて、一番高いところに高殿跡があります。
一番上の石垣にはかなクソが捨てられていますので、この石垣はたたら創業当時のものだろうと思います。
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ほかの石垣はいつの時代のものかわかりませんが、松田家は3回も操業しているので、その時に増設された可能性もあります。また、たたらが終わってから農地にするために作られた可能性もあります。
今回は時間がなく、一番上にあるはずの高殿跡も含めて十分に観察することはできませんでした。
どこにどんな施設があったか、ぜひとも知りたいところです。