童子切 剥落 聖地巡礼するとしたら
オンラインゲームの刀剣乱舞でいよいよ「童子切 剥落」がデビューするというニュースを聞きました。本音を言いますと刀剣乱舞自体は私にはよくわかりません。しかし、童子切はすこしわかります。
刀剣の中に、古伯耆ものと呼ばれる一群があります。
すなわち、平安から室町にかけて伯耆国で大原安綱一門によって作られた刀剣です。
童子切の聖地巡礼となると、私の思い当たるところが二か所あります。
伯耆に刀鍛冶伝説は多くありますが、よくよくたどってみれば、真守屋敷とか真守神社とかに行きつくことがあります。
これは、大原安綱の継嗣、大原真守を指します。大原真守自体も抜丸などの素晴らしい刀を作っています。平清盛と平頼盛がこの刀をめぐって確執があり、それが平家の崩壊につながったという説があるくらいです。抜丸は現在の所在が不明なのですが、もしこの刀が世に出れば、間違いなく国宝になるでしょう。
平家の宝刀が抜丸であるのに対して、源氏の宝刀が「童子切」だといわれています。
童子切の由来について私がくどくどいうことはありません。
ただ、私がその製作地だとにらんでいるのが日南町大原山と日野町大原の里です。
天叢雲剣(天皇家の三種の神器、あめのむらくものつるぎ)が出たという船通山の麓に大原山はあります。刀剣作りをしていた山伏がこの山で作ったのが童子切だと伝わっています。山伏塚もあり、近くから中世の小さな製鉄遺跡が見つかっています。日本三大鋼の一つと言われる印賀鋼の産地です。

山伏塚

鍛冶場跡
また、日野町上菅駅周辺は大原という地名で、「昔出来の良い刀鍛冶がおり、成功してお城のような屋敷を持っていました。妻は刀鍛冶の師匠に当たる家がらで、花の御前と呼ばれていたそうな。二人は平和に暮らしましたとさ。」
という伝承が残っております。上菅の駅舎内には安綱にまつわる解説パネルが多くあり、歩いて15分ほどのところに大原神社と花の御前の神社が並んでいて、今でも地元の人に守られています。

さらに歩いて20分の所に都合山というたたら跡があり、現在発見されている4つの遺跡のうち2つがいままでに発掘調査されています。そしてタイミングのいいことに今年の8月17日に現地で発掘調査説明会が開かれます。
日南町大原山、日野町上菅大原の里、どちらもたたらによる和鉄の大生産地の真ん中にあり、そこから生産された和鉄の恩恵を受けて作られた太刀が童子切だと考えられます。
童子切 剥落 の聖地巡礼をするとしたらこのあたりになるのではないでしょうか。

