境港の海とくらしの史料館でたたらについての展示があります。


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境港と日野の鉄展 | 日本最大級の魚のはく製ミュージアム「海とくらしの史料館」

われわれは、会場で24日にミニたたらを操業することにしています。

砂鉄から不純物のケイ素を溶かし出し、かつ鉄は溶かし出さないようにしながら熱してゆきます。
ぐつぐつ沸いた酸化鉄の塊に対して一酸化炭素ガスを反応させ、酸化還元反応により金属鉄にします。
むかしの人はよくぞこんなことを思いついたなと呆れます。
思いついたのではなく、偶然の賜物なのかもしれませんが。
そして現在の我々が擁するムラゲ(技術長)の腕も大したものです。

ところで、メインテーマである、境港がどんな歴史をたどって現在のような貿易港になったのか。

もう10年も前になりますが、同じように奥日野のたたら製鉄とその鉄の積出港としての境港発展について展示をしたことがあります。
そのときに、面谷さんから境鉄融通会所諸事控の翻刻されたものをいただきました。
それ以来、季節君は古文書の勉強をしてきました。
そして、今回の境港での展示をきっかけとして、宿題の境港鉄融通会所諸事控をもう一度読んで勉強することにしました。
しかし、この書物、難敵です。

何せ漢字が多い!!(あたりまえですが)
おまけにボリュームも相当なもの。これを翻刻するのも相当なパワーが必要だったことでしょう。
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読んでゆくと、今まで知らんかったなまなましい記述もあります。
米子での鉄問屋取引は不行き届きだと上阿毘縁村の彦兵衛が陳情していますが、その具体的な内容も書かれています。
鉄を問屋に預け、その代わりに為替銀をもらい鉄山師は資金繰りをしていました。
しかし、米子の鉄問屋は為替銀の支払いを拒否し始めます。
そのほかにも鉄山師からの苦情と要望は続きます。
一米子の鉄問屋は自分の取引用に鉄を買って、鉄山師の鉄より優先的に自分の鉄を売ったり、それにまがい物を混ぜて売ったりしている。
一米子の鉄問屋は、我々から預かった鉄をほかの問屋に質入れし、その金を使って自分の資金繰りにしている。
一米子の鉄問屋は預かった鉄が売れたのに、売れていないふりをして、利息を取り続ける。
一為替銀はすぐもらえるようにしてほしい。急場でも5日10日と日延べされて鉄山師は苦しい。
一米子に預けた鉄を境に変更する場合は、米子で蔵敷代を取らないでほしい。蔵敷代が米子、境両方で取られてはかなわない。
すったもんだの議論の末、ようやく境港に鉄山融通会所の設立が認められ、境港からの鉄の積み出しが始まります。

米子港より境港のほうが外洋に近く圧倒的に船便が立ち寄りやすいです。
徐々に境港が貿易の主力になってゆくのでした。
全体の流れは杉原氏が作られた電子紙芝居でよくわかるようになっています。
電子紙芝居『伯耆国の流通革命』 - YouTube

どうぞ皆さんこぞって会場においでください。