黒坂の町並み視察に行きました。
季節君は日野町文化財保存活用推進協議会という会に入っています。文化財保護審議委員会という会にも所属しています。どちらも文化庁の所轄ですね。
このたび、日野町の文化財を活用するのに現地視察をしてみようというお話になりました。
季節君は、根雨の町並みガイドやたたらの楽校についてはそこそこ詳しいのですが、黒坂の町については詳しくありません。
当日は小雨の降る中、右手に傘、左手にバインダーと書類を抱えてガイドの皆さんについて歩きました。
(写真は山陰合同銀行跡です)
黒坂といえば、江戸時代は福田家の領地でした。鳥取藩の領地でありながら重臣である福田家の領地でもあるという二重構造です。
これは自分手政治といって、鳥取藩独特の制度です。
藩主が幼少の時に鳥取藩は領地替えになり、その混乱の中、重臣たちが分割統治をしたらしいのです。米子は米子荒尾。倉吉は倉吉荒尾。八橋は鵜飼でしたっけ?が統治しています。
福田家と郡代の諍いが文書に残っていたりします。
そういった珍しい歴史がガイドの売りになりそうな予感がしました。
陣屋の様子や統治の様子をもう少し詳しく調べてストーリ建てしたいと思います。
そして、黒坂といえばもう一つ。
大鉄山師の緒方家です。
黒坂の町の半分は緒方の土地だったというし、根雨の近藤家みたいな存在だったのでしょう。
ただ、緒方家についてはわからないことが多い。というか、わかっていることが少ない。
古文書が残っておらず緒方家の事を知ることができないのです。
わずかに、県立公文書館に文書があるそうなので、どういった資料があるのか、確認しておかなければなりません。
ほかには、鉄山必要記事を記した下原重仲が老後を過ごした町でもあります。
この話も黒坂の歴史に織り交ぜちゃどうでしょうか。
旧黒坂町役場の古文書を教育委員会で整理中です。
私もいっちょかみしているのですが、大半の文書が、年貢や土地台帳です。
これからは、黒坂の歴史につながる文書も残ってないか気を付けることにします。