日南町印賀 下鑪の古地図発見
日野町の古文書整理ボランティアに参加していました。最近はコロナの影響で、会が流れることが多いのですが、9月の定例会は無事開催されました。
いたってまじめな会なのですが、時々面白い文書が見つかることがあるので楽しいです。
さて今回は、大宮の古地図が見つかったという話。
日野郡日南町大宮地区はたたらが盛んだったところで、遺跡も多くあります。
もったいぶらずに公開してしまいます。
大正の初めの地図です。
ここには現在はダムができているのでちょっと感覚が違います。
この左端に下鑪という文字があるのがわかりますか?
聞いたことがありません。
わが伯耆国たたら顕彰会のホープ(かなり歳取ったホープですが)藤原氏の調査報告書600の遺跡の中にも下鑪というのはありません。
面白くなってきました。
で、グーグルの地図で調べたら、あっという間にわかりました。
世の中便利になりました。
「菅沢から印賀に向かって、大きなカーブを曲がって、小さなカーブを曲がったところ」
グーグル地図では吉鑪と書かれています。
まさにそこが下鑪だったのです。
この地図の作成年は大正初め。まさに吉鑪操業の真っ最中です。
間違っているはずがありません。
すると現在われわれが呼んでいる吉鑪の名称のほうが間違っていることになります。
間違っているというか、地名が変わったというか。
下鑪という旧名称を知っているか地元の人に確かめてみようと思います。
ただ、現在われわれが吉鑪といっているのは、川の対岸のようなのですがどうなっているのでしょうか?
川替えが行われたのかもしれません。
ますますおもしろい!