舟場ヒヤ谷たたらの調査
日野町根雨にたたらの楽校があります。
伯耆国たたら顕彰会にとって中心的な施設だといっていいと思います。
ここを見学された後に、実際にたたらの遺跡を見てほしい。
しかし、近いところに見学できるような遺跡が整備されていないのが現実です。
そこで、舟場にある4つの遺跡のうちでもっとも迫力のあるヒヤ谷たたら跡を整備できないか検討することになりました。
ヒヤ谷たたらは顕彰会設立当初から注目していたたたら場ですが、高殿があったところに砂防堰堤ができており、残念な遺跡とされていました。
しかし、とても立派な石垣が連続しており、カナクソも大量に残存していることから、大きなたたら場であったろうと思われます。
石垣だけでも見えるように整備しようかという話が持ち上がりました。
昔作った舟場山のユーチューブ動画(季節君作 杉原氏 曲)
今回、角田先生がおいでなので、ちらっとでも見ていただいてご意見をうかがうことにしました。
舟場の出雲街道を1Kmほど登ったところにその遺跡はあります。
車で行けなくもありません。しかし、雑草が気になるので自慢の車ではお勧めできない旧道です。
間地峠の待避所に車を置いて歩けば7分で到着します。
5段に積み上げられている石垣ぞいの山道を登ってゆきます。
石垣も高さ5メートルは有ろうかという立派なものです。
(右にある、がけ崩れのような部分が捨てられたカナクソです)
これに砂鉄洗いの樋などあるとうれしいのですが、田畑に流用されていたようでその跡は見つけられませんでした。しかし、進入路になっている山道にもカナクソが落ちているので、たたら操業時にもこの進入路は使われていたのでしょう。ということは石垣も当時のままのはずです。
石垣がなくなっている突き当りは仰ぎ見るような急斜面(写真のとおり)
高さ5m。幅20mはあろうかと思われる急斜面にはカナクソが敷き詰められています。
(捨てられているともいう)
この斜面は踏み込むと崩れるので、登りにくいったらありゃしない。
その上は平地になっていますが、雑草が生い茂り身動きできない状態でした。
角田先生はご自慢の鉈をブンブンと振り回して藪漕ぎをされます。
辺りをうろうろとうろついていたら、突然立ち止まりこちらを振り返る。
そしてにやりと不気味に笑うと腰に手を当て一言。
この平地の広さは18メートル四方あるので、ここの下には本床が眠っています。
おそらく高殿も復元できるでしょう。
むむむ……
この先生、むやみに動き回っていたのではないようです。
やはり達人なのでした。
<(_ _)>
季節君は簡単なスケッチを書いてみました。
つまり、高殿の南端は砂防堰堤になっているものの、かろうじて高殿部分は残っている。
その高殿跡の上に工事残土が積み上げられている。
そのために、工事によって高殿が破壊されているように見えるのです。
ただし、どこにどういった設備があったのか、建物配置は現状では判断できません。
高殿とカナクソ捨て場、水路のみがわかる状態です。
これから、近藤家文書を調べて舟場山の記録がないか探すことになります。
ここには「舟場鉄山代々聖霊の墓」と記した鉄山墓が残っていますので、舟場山と呼ばれていた可能性が高いのです。
頑張りすぎないように、じっくりやってゆきましょう。