都合山遺跡の活用
角田先生が新書を出版され、ご講演もされたことを受けて、伯耆国たたら顕彰会では、都合山たたら跡の見学会を実施しました。
もうずいぶんと回数を重ねていますが、いまだに都合山の見学会に参加者がおられるので、都合山の知名度が上がってきていることが伺えます。
朝9:30に畑(はたという地名)の進入路に集合。
知り合いから「畑の集合場所がわからない」というご指摘を受けました。
もう少し道案内の看板を増やすとかしなければならないのかもしれません。
参加者は13名。
大坂の大和大学から徳安先生も参加しておられます。
都合山で見つかった鉄穴流し跡を見てみたいとのご参加でした。
上菅から延びるたたら街道は、当時のまま残っているルートなのですが、歩くと30分では到達できないくらいに距離があります。
畑からの作業道は15分でたたら場に到着できますが、なにせ坂道が急です。
どちらも車での進入には向きません。
このあたりが都合山のネックになっています。
みなさんでえっちらおっちらと山道を登ります。
鉄穴流しの井出川があった尾根を横切り、たたら場の上に出たときには汗びっしょりでした。
たたら場は少し草の丈が伸びていて構造がわかりにくくなっています。
都合谷川を超える橋が、苔むして滑りやすくなっていたのですが、今は砂を敷いて改良されていました。
溜池や金屋子神社周辺の立ち木にピンクのリボンが結び付けられています。予備調査が行われているようです。
キャビンの後ろには砂利が敷かれ、ここにトイレが設置される予定です。
都合山の見学の後、400メートルほど下って鉄穴流しの走りと選鉱場を見学。
鉄穴流し跡は、水路が2Kmほど、選鉱場は2か所確認されていますがまだ調査中なので全容は見えていません。
どこまで続くのでしょうね。
その後、道を帰りながら少しだけ鉄穴流しの井出川のある尾根にも登ってみました。
今後の史跡としての整備、鉄穴流しの調査など、都合山遺跡はまだまだ進化の途中だと改めて思いました。