鳥取県西部地震の時に救出した古文書があります。
近藤家文書はさいわいにも、鳥取県立公文書館で保存研究がなされています。

その他の古文書は、日野町内の施設で分散保存されています。
保存といっても、衣装箱に入れたままで研究もなされずお粗末な状態です。
そこで日野町としては、町民の手でこの古文書を守ろうという考え方になりました。
長らくそのままになっていたので、きちんと整理してリストを作るという活動が続いています。

今日は、その活動をテレビ局も取材しに来ていました。

カメラを前にして、参加者の中にそこはかと漂う緊張感。
担当者の冒頭のあいさつも、やたらと硬いものになっていて、参加者の失笑を買っておりました。

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私も取材を受ける前に、何とか格好の付くようにと、割り当てられた資料の中から見栄えの良いものを探します。

明治時代の土地台帳。
楷書で書いてあって読みやすそうなのに、ところどころに読めない字が散りばめられていて読み切れない。
地雷が埋まっているようなものです。
これは、見栄えがしないわりに苦労が強いられるという最悪のパターンです。

それではと江戸時代の古そうなものを引っ張り出してみたら、これはあまりに字が崩してあって、何がなんだかわからない。
ひっくり返してもわからない。
逆立ちしてもわからない。
辞書を引こうにもとっかかりすらつかめない。
周りの人に協力していただきながらなんとか読んでみました。

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明和六子 大庄屋 川嶋〇衛門
日野郡黒坂村田畑午流寅改帳
丑七月より 取立庄屋〇 甚六構

自信がありません。〇の部分は私の勉強不足の部分です。
今後頑張って解読するようにします。
昔は西暦がなく、元号も頻繁に変わっていたために年代感覚がつかみにくい。
そこで、午の年とか虎の年とかいう言い方で、何年前カナ?などという年代感覚を掴んでいたのでしょう。
私がよく間違うのが牛と馬。
牛はと書きます。
馬はと書きます。

こうして現物の古文書に当たり、他流試合のようなことをして腕試しをしている今日この頃です。

そういえば、今回は元禄年間の文書を目にしました。
元禄といえば、江戸時代の初期。
犬公方として名高き、五代将軍徳川綱吉の頃の文書です。
かなり古いです。
こうして保存してあれば、大昔の人の書いた資料を読むことができます。
書いた人の息吹を肌で感じます。
人間は年を取ればいなくなってしまいますが、古文書たちは頑張って長生きしてくださいねって思いました。