都合山の鉄穴流し調査の続編です。

山頂の稜線近くを通る長い井出川から、山の側面に水を落とした跡があります。
そこは、なだらかな井出川から一転して急斜面になっています。
探検隊はその斜面を一列になって下り続けます。
けっつまづいて転んだら、谷底まで転げ落ちて、おっ死んでしまいそうな急斜面。
!!w(゚o゚*)w

あちこちの谷からV字になった渓谷が合流しますが、その上に山を崩した切端があるのかどうかは確認できません。
だって、いちいち上がったり下りたりを繰り返していたら、日が暮れてしまいます。
季節君の体力も持ちません。

途中、炭窯がありました。
大量の炭を必要とするたたら場では、あちこちに炭窯があるようです。
この100メートルほど上流にあるもうひとつの選鉱場跡でも、選鉱場として使用しなくなってから石組を積みなおして炭窯にしていました。

そして、急な下り坂を降り続けてようやく都合谷川のせせらぎが聞こえるころ、川岸にある平坦地に出ました。
角田先生が早くも説明を始めておられます。
川岸が浅く掘られて、石組が露出しています。
角田先生が、見やすいように事前に掃除してくださったようです。

そう、ここが鉄穴流しの膨大な施設の最終点、選鉱場です。
選鉱場


両側を石組で囲い、下流に向かって長く伸びています。
ところどころに、砂を吐き出した排砂口があります。
流れてくる土砂の1%しか砂鉄はありません。
上積の土砂は、さっさと川に流して、砂鉄だけを下流に溜めてゆきます。
こうして流した膨大な土砂が弓ヶ浜を作ったのです。
できれば、この選鉱場も発掘調査してほしいところですが、道路工事に引っかかる可能性もなく、町単独の予算ではとても無理でしょう。

こうして、2時間ほどかけてざっと鉄穴流しの跡を見てきましたが、遺構が大きすぎて取水口から選鉱場、すべての切端や走りを見ることはとてもできません。
おそらくほかにも選鉱場もあるはずですが、それもまだ未確認です。

しかし、だいたいのシステムは、実際に目で見て説明を聞いて、理解することができました。
大変な労力をかけて作られた広大なシステムですが、あちこちに納得の工夫がされていました。
こうして本日の鉄穴流し場探索の旅は無事に終了しました。

都合谷川を渡ると、対岸は砂鉄や物資を運んだたたら街道。
500メートルほど歩くと都合山に到達です。

せっかく角田先生がおられるので、都合山の説明もしていただきました。
銅場
写真は、銅折場です。
7メートルのやぐらを組んで、その上から鉄の分銅を落とします。
そうして大きなけら(鉄)の塊を砕いたのです。
分銅を吊り上げる動力は水車。
その水車までは掛樋が掛けられ、上流に作った溜池から水を引いて動力にしていたとのことです。

大鍛冶場跡では、銑鉄ぶけら(不純物の混じった鉄)を鍛錬して錬鉄にした説明がありました。
山奥から鉄を運ぶので、少しでも単価の高い製品を出さないと運賃に採算が合わなかったとのこと。
そのため、近藤家では大半のたたら場に大鍛冶を備えていたようです。
このあたりのお話は、角田先生の「たたら吹き製鉄の成立と展開」に書かれていたように思います。
著者の先生から直接に説明を伺うのは感動モノでした。

都合山の入り口には鳥取県が作った配置の見取り図がありました。
配置


都合山キャビンに戻り、熱いコーヒーをいただきながら、資料を読み返します。
すぎはら氏が作った資料は、地図も詳細。
写真入りで鉄穴流しの説明も丁寧でした。
この資料を基に、さらに高低差をイメージ図にしてみました。
見取り図

源流から水をとり、山の稜線を井出で通します。できるだけ水平に近くして遠くまで水を運びます。あちこちで水を落として砂鉄採取をしています。
山を崩したところは切端と呼ばれ、断崖を砂は落ちてゆきます。この乱暴な落差によって劣化花崗岩は砕かれ砂になって選鉱場にたどり着くのです。

こうして、今日のガイドは終わり、みんなくたくたになって帰路につきます。
途中で振り返ると、こんな光景に出くわしました。
水道
ここは、さっき探索した井出の中央部。
今は道を開削されていますが、それができる前は右から左に井出があったはずです。
山の両側には水路が走っていました。
ひょっとしたら水道橋が走っていたのかもしれません。
こんなかんじで……
水道橋
(写真は人向山にある、農業用の水道橋)
それにしても、昔の人は膨大な労力を使って鉄を作っていたのですね。

また、何か思いついたらツアーやイベントをしますので、皆さん楽しみに待っていてください。
案外、スタッフが一番楽しんでいたりして。