伯耆の大鉄山師である近藤家に残る多くの古文書。
その中に都合山鉄山鉄穴場(砂鉄採取場)の絵図があることを以前書きました。
大昔は土砂もろとも砂鉄を掘り出していたので、山に大きな穴が開き鉄穴(かんな)と呼ばれていました。
江戸時代になると、山の中に水路を開き、そこに土砂を流して砂鉄を採取するようになったので鉄穴流しと呼ばれるようになります。

島根県の角田博士は、都合山を13年ほど前に発掘調査されて以来、長らくこの鉄穴流しの痕跡を探しておられました。
そして、いろいろな手掛かりがつかめたので、この度みんなでそれを確認しようというツアーを、奥日野ガイドクラブと伯耆国たたら顕彰会で企画したのです。
もちろん、皆さんを路頭に迷わすわけにいかないので、ある程度の資料などは作ってありますが、季節君も全行程を歩いたことはありません。
当日は、雨が心配されましたが、何とか開催できそうです。
まず近江、畑の駐車場でミーティング。

ミーティング

スタッフ、参加者併せて18人となりました。
今回は全行程歩きです。
流石に、若い方が多いです。
女性もちらほらおられて、すそ野の広がりを感じうれしい限りです。

ありがとうございます(*^▽^*)


いろいろな痕跡を自分たちで探してくださいとの企画の下、種明かしまで相談は禁止にして
山を一キロほど歩いてゆきます。
井出

皆さんが歩いておられる道はすでに水路の上になっています。
ここは歩きやすいねとため息がもれますが、皆さんは井出の上なのをまだご存じありません。
限りなく水平に近い一本に伸びた道を歩いてゆきます。

そして、途中にある分岐点まで来たところで、休憩して全体像を説明して種明かし。
あちこちから水を引いてきて水路を合流させ、水量を確保しています。
さらに2.5Kmほど上がると源流域からダムを作って取水しているところまで行けるそうですが、遠くなりすぎるので今日は断念。

帰りは違う水路を通ってゆきます。
おそらく、古い水路が決壊したので、新しいルートを作ったのだろうとの説明でした。
そしてため池跡。
池

ため池は水量調節のためにあちこちに設けられていますが、夜の間に水をためて作業の時に使ったとも、鉄山必要記事には書かれています。

平坦な道から途端に急斜面になった切端とよばれる砂鉄採取場を降ります。
周囲は真砂と呼ばれる劣化花崗岩帯を崩しています。
それを水と一緒に流していたのです。

流した岩や砂を細かく砕くため、走りと呼ばれる急斜面が続きます。
走り
ここいらで季節君はもう膝が笑っていました。

山の稜線を流れる井出川を根幹にして、あちこちにこうした切端が作られています。
こうした膨大な苦労をして砂鉄を採っていたのですね。

さあ、これからさきにいよいよ選鉱場が待っているのです。

次回に続きます。