鉄山必要記事という書物があります。

江戸時代に書かれて、たたらに関するおおよそすべてのことを網羅した、全8巻からなる書物です。
その写本が東京大学、筑波大学、九州大学にあって、鉄山秘書とも呼ばれます。
たたらに関して詳細な記録の残る一番古い書物ということで、この本は現代語訳もされていて、多くの研究者が研究しています。

しかし、著者の下原重仲については、あまり研究されていないという実態があります。
下原は鳥取県江府町宮市の人です。
首都圏から遠く離れているうえに古い時代の人ですので、情報収集が難しく、研究されないのでしょう。

ということで、地元での研究が期待されます。
ざっとしらべたところ米子の生田清先生、幡原敦夫先生、洲河崎の影山猛先生の論文が発表されています。
今年の11月5日で、下原氏の没後200年になるのをきっかけにして、地元の意地で重仲を研究しようというイベントを開催することにしました。

午前中は現地視察。午後は講演会を開催します。
まずは車に分乗して25人ほどで俣野へ向かいます。
季節君は、イベントコーディネーターのすぎはら氏から「ちゃんと12時までにはみんなを連れて帰るんですよ」と指示をいただきながら出発。
江府町の橋谷さんから詳細な絵図面を作っていただき、参考にしながら深山口に到着。


下原重仲の実家の前を通り、先祖の石碑をまわって吉ケ谷たたら跡へ。
yosigatani
上段が高殿跡。
下に廃滓場と金池があります。
偶然にも季節君が廃滓(カナクソ)を踏みつけ、取り上げたところレンガくらいの大きさで、皆さん納得でした。

近くに鑪場の願主の名の入った灯篭があるそうです。
おそらく商売繁盛を願って神社に寄進したものでしょう。
灯篭の中には、銑鉄で作った燭台が入っていました。
syokudai


さらに近くのたたら場跡を見学します。
yasikimae
深山口屋敷たたら跡です。
右手の平地が高殿跡。
その先は谷になっており、廃滓捨て場になっています。
磁石にくっつく排滓、おそらく鍛冶滓もあるので、鍛冶場も近くにあったと考えられます。

たたら操業家と思われる建物の裏庭にはきちんとした水路がひかれておりました。
伯耆誌には俣野に8つのたたら場があると記載されています。
鉄山必要記事には、俣野鋼は最高品質の鋼の一つであると誇らしく記載されています。

車に戻って、重仲が移り住んだ宮市の屋敷跡に移動します。
近くの神社には下原重仲(吉兵衛)の寄進した灯篭がありました。
tourou

ここでは全くたたら場の配置がわからないのですが、古い石組の立派な水路が残っており、まさにたたら場があったことを感じさせます。
suiro2

人の生活だけではなく、鉄を冷やしたり、粘土を練ったり、砂鉄を洗ったり、水車動力を得たりとたたら場には必ず水場があります。
今日訪れたたたら場は、いずれも操業家 (下原家)の自宅近くに構えられています。
島根県では見られますが、奥日野では自宅とたたら場が隣にあるというのは数少なく、珍しいのではないでしょうか。
あるいは古い形態なのかもしれません。


そして最後に、下原重仲と息子の仙助のお墓参りをしました。

もう時間が残り少なくなり、小走りに車に向かいます。
会場で待っているスタッフさんに叱られないように皆さんをせかし、何とか12時までに帰ってくることができました。

(^-^;

さてさて、午後は大事な講演会があります。
昼食の後は、講演会場へとなだれ込みます。

つづく