それは一枚の絵から始まりました。
s近藤家文書2247(都合谷鉄穴)1


近藤家に残る古文書です。
『字都合谷鉄穴』の文字が見えます。
これは都合谷に砂鉄採取場があったことを示しています。
今まで、都合谷に砂鉄採取場、いわゆる鉄穴場があったとは聞いたことがありません。

そこで、現地踏査をして場所を確認しようというプロジェクトが始動しました。

早速、角田先生のご指導の下、たたら顕彰会のスタッフが招集されました。
もちろん遺跡を好物とする季節君も参加。
5人で山登りをすることになりました。

まず麓で地図の確認。角田先生がおおまかな位置の予想をされます。
そして、斜面をよじ登ります。
転んだら下まで落ちてしまいそうな急斜面です。
みんな腰には熊よけの鈴をつけて手袋に長靴。帽子は必需品でしょう。
つい先日も近くでクマが目撃されているので、インディー氏は音響ピストルまで持参して、パンパン鳴らしていました。

山の尾根では水平な小道が続いています。
不思議なほど水平です。
実はここがすでに、井出(水路)なのでした。
すいろ

よく見ると、道の中央が窪んでいて水路の跡が見て取れます。
昔の人はよくもこんなところに水平な道を作ることができたものです。
その技術には大いに驚かされます。

たぶん、ここが鉄穴場に水を引き込む井出なのは間違いありません。
道が二股に分かれていて、その先には何があるか気になるところではありますが、全部を調べる時間的余裕もなく、こんどはもと来た道、逆方向に向かって歩いてみることにします。

しばらく歩くと、右に大きく落ち込んでいる谷がありました。
降りてみると、ここが切端のようです。
山を崩して水路で砂を流したのです。
きりは

周辺には邪魔になった石を取り除いた跡もありました。撥石というそうです。

はねいし

その先は、砂を崩して落としてゆく『走り』になっていました。
はしり

こんな切り崩しがあちこちにあるのかもしれません。
この先はどこに続いているのでしょう?
きっと、下には選鉱場があるに違いありません。

ここも保留にしておいて、尾根に戻って都合山方向に進みます。
すると、急角度に道が谷に向かって落ち始めます。
ここが最終の切端でしょうか。
草につかまり、2人ほど滑落するのを見て見ぬふりをします。
途中から水が流れてきて、ぬかるむ中を季節君も一生懸命写真を撮りながら降りました。

途中でカメラのバッテリー切れになるカメラマン一名。
きっとまたどこかで再開しようねと言いおいて、崖のような斜面を下ります。

息も切れそうな強行軍で、何とか平地にたどり着き、振り返るとこの光景。
taki

水が流れていたら、立派な滝だったのでしょう。

そして、この下は平地になっています。
みんな無事に集合することができました。

この平地は、選鉱場の可能性がありますが、私たちにはその痕跡を見つけることはできませんでした。

平地に沿って都合谷川が流れ、対岸には再結合滓がびっちりと付いています。
さいけつごう

そして対岸に渡ると、たたら街道。
この道をたどると間もなく都合山の遺跡に到達します。
昔の人も荷物を背負ってこの道を歩いたのでしょう。
街道


こうした私たちの冒険は無事終わりを告げたのでした。
季節君が『やれやれ、もう一歩も進めないや (+_+) 』と言うと、角田先生は
「じつは午前中にも、下調べにひとりで同じルートを歩いておきましたし、これからは下りなので楽なもんですよ」
としれっとしておっしゃいます。
いったいこの先生の体力はどれほどあるのでしょうか。


ちなみに、次の『都合谷鉄穴流しの探索探検』は12月4日に行われます。
今日は掲載しきれなかった見どころも、各所にあります。

たぶん、保険料とお茶代程度の参加費で、10名程度の一般募集がされます。
皆さんご参加ください。