ふいご祭り開催
令和3年10月24日。晴天に恵まれ、ふいご祭りを開催することができました。
その昔、たたら場では交代制でたたらが行われました。
3日、あるいは4日がかりでたたらをすると、あくる日からは次のチームに交代します。
しかし、出来上がった鉄塊を砕いて鍛錬し、鉄の延べ棒にする大鍛冶にはお休みがありません。
次々と出来上がってくる鉄塊を大急ぎで製品にしなくてはならないのです。
そこで、年に一度くらいは大鍛冶にもお休みをあげようということになり、大鍛冶をお休みして御馳走をいただく日。すなわちふいご祭りができたのだそうです。
日野町では、たたらで栄えたことを思い出すイベントとしてふいご祭りを行っています。
朝早くからミニたたらの炉の建設が始まります。
少しの狂いもあってはならないので、村下さん(工場長のことをムラゲと呼ぶ)も慎重になります。
空気がピンと張りつめていました。
傍らでは鍛冶体験工房も開かれ、ペーパーナイフの製作が行われていました。
そして、日野町のゆるキャラ『しいたん』の登場です。
テレビで見るより実物はずいぶんでかくてびっくりしました。
広島県立大学の野原名誉教授もおいでになっていました。
伯耆国たたら顕彰会設立当時からお世話になっている大先生です。
先生は、お持ちになっていたたたら関係の蔵書も大量に寄付してくださったりしています。
そして砂鉄の投入体験。
50人ばかりが体験をさせていただきました。
2時間ほどすると、砂鉄に含まれていた不純物が炉の中にたまります。
これを抜いてやらなくてはなりません。
いわゆる『ノロだし』というやつです。
砂鉄の成分の半分くらいはケイ素です。
このケイ素をうまく溶かして、鉄成分と分離させるところがたたらのキモになります。
そのケイ素が溶けて溜まったところに、炉の粘土(これもケイ素)が溶けだして増量します。
炉の底を抜いてやると、これらが一気に流れ出すという仕組み。
真っ赤に溶けた溶岩流が流れ出しますが、これが鉄ではないところにご注意。
これが冷えるといわゆる『かなくそ』というやつになります。
火入れをしてから7時間。
炉を解体するときがやってきました。
洋鉄では、鉄も高温で溶かして溶鉱炉から流し出します。
いわゆる銑鉄ですが、たたらでは一回一回炉を壊して中の鉄塊を取り出すのです。
鉄塊は水をかけても長い間水蒸気を上げ続けていましたが、ようやく触れるようになりました。
秤に乗せてみると、6.7Kgです。
砂鉄を15Kg使い、その中の半分が不純物だとすると、7.5Kgが鉄成分だと仮定されます。
そのうち6.7Kgを鉄塊にして残せたのなら大成功でしょう。