福長下モノ原たたらについてちょっと考えてみました。
これは素人考えなのであまりあてにしないでください。
この遺跡では、小舟がないらしい。
大舟というほどの大掛かりな保温設備もないらしい。
おったて柱など、高殿の存在をうかがわせる柱跡も見つかっていない。

ということは、カーボンベットによる簡単な保温構造であるらしい。

今までの勉強からして、鎌倉時代のたたらに似ているのではないかと思います。
少なくとも近世の遺跡にあるような設備はなさそうです。

したがって、この遺跡は、かなり古いのではないかということになります。
これから炭素年代測定をするようですので、要注目です。
(その後の調査で、炉の地下に炭を詰めた大舟構造が見つかり、さらに小舟部分には溝が掘られていたことがわかりました。これで、もう少し新しいものだと推測されるようになっています)

それから、黒坂下にある才之原たたらの続報です。
当初、3つの製鉄炉があるとの見解でしたが、地価を掘り下げてみると、保温構造は2か所にしかないらしいです。
すなわち、表面には壊された小舟上部が散乱していたために、3か所を予想しましたが、実は2か所であったらしいのです。
そして、昭和に見つかり、根雨民俗資料館に置かれている坊主石は、才之原ではもう見つからないようです。
敷石部分は見つかっています。
才之原

坊主石は、おそらく昭和の道路工事の際に切り取られてしまった部分にあったのでしょう。
完全な形で地下構造が残っていないとしたら、とても残念です。