巷では鬼滅の刃で炭次郎が斬った大岩というのが話題になっています。
似たような岩は全国にあります。 
とある取材の折、私は新聞記者君に「鳥取県でも丹次郎が斬った岩に似た大岩があるよ」と話しました。
そして、当ブログにも書きました。
それをご覧になった鳥取県の観光課さんから「見てみたいのでご案内願えますか」と丁寧な連絡がまいりました。
というわけで、即席の見学ツアーに出発です。

出発地点は、鳥取県日野町根雨。車で人向山に向かいます。
人向山というのは、刀の材料になる鋼=はがね(昔は刃金と書いた)などの鉄を作った場所、いわゆるたたら場といわれるところです。
たたらというのは、砂鉄を焼いて鉄を取り出す日本古来の方法。
1400度までの低温で、燃料に木炭を使って鉄を作るので、洋式製鉄の石炭を使うのと違ってリンや硫黄などの不純物が少なくなります。
不純物が少ないと、刃物の焼き入れをするときに、ひびが入ったりしない。刀にしたときに折れたりしない。
つまり、日本刀とたたらは切っても切れない関係にあるのです。

現地に向かう途中、たくさんの人が作業をしておられるところに遭遇しました。

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知り合いもいます。
才之原遺跡の発掘現場です。
ここも鋼を生産していた、たたらの遺跡なのです。
この地域には、大小合わせて600ちかい製鉄の遺跡が残っています。
人も歩けば、遺跡に当たるというくらい多い。

そして、上菅駅に寄り道します。
ここの地名は「大原」といいます。
駅のうしろ、山のふもとに、小さな祠が2つ並んで立っていました。

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これが誰あろう、大原安綱の祠だといわれています。もう一つは奥さんの花御前。
前回も書きましたが、大原安綱とは、鬼切丸とか童子切という、鬼切り伝説のある刀を作った刀鍛冶です。
流石に、鬼滅隊が使っていた日輪刀というのは作品一覧に載っていません。
この祠に祀られているのが、本当に安綱本人であったのか、ここで本当に鬼切丸が作られたのかは、誰も知る由がありません。
城のように大きな屋敷に住んでいたと言い伝えられています。
奥さんは優しく美人だったといいます。よくある話です。
この周辺は製鉄地帯で、特に刀づくりで有名な印賀鋼の名産地でもありました。

その先を車で急ぐと、1Kmほどのところで、国道から左に入る小道があります。
小道は途中でこんなことになっていました。

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『前途多難』という四文字熟語が頭に浮かびます。
まだ『絶体絶命』ではないだけましですよね。

車を放棄して、ここからは歩きます。
雪の深い道を一歩ずつ。
雪の上には多くの足跡がありました。
爪痕から判断するのに、イノシシでしょう。
そういえば、彼は鬼滅の刃にも嘴平伊之助って名で出てました。

イノシシに導かれるように小川に沿って歩いてゆきます。
小川の中には、鉄のかすが溜まってできた、再結合滓なる岩盤があります。

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昔、あまりに沢山の鋼を作ったので、その不純物が川底にたまって岩盤を形成したのです。
それが今でも残っているのは驚きです。

ひたすら歩き続けて、そろそろ遭難するのではないかと思い始めたころ……
時間にして、歩き始めて10分くらい。

自慢ぢゃないけど軟弱です。

息が切れてきたころに、人向山と書かれた小さな看板が、ポツンと店番をしていました。
昔は沢山の人がいて、鋼を作っていたところなのですが、今は誰もいなくて看板が寂しそうでした。
そして、炭次郎が斬ったとか、斬っていないとかいう件の大岩は道から10メートルほど入ったところ。

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やはり大岩も、ポツンと一人ぼっちでありました。
半分土に埋もれているけれど、きちんと掃除すればそれなりに見栄えはしそうだねって、みんなで話しました。
岩だけなら、もっときれいなところはたくさんあるだろうと思います。
でも、刀鍛冶の安綱のことや、鋼の遺跡群などもセットで見てほしいねって話し合いました。

鋼を作った人向山遺跡には、材料となった砂鉄を洗うところが残っています。
多くの人の菩提を弔った石碑。

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砂鉄をとった山(鉄穴山)。

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砂鉄を流した水路(井出)。
斜面には鉄滓(製鉄した後に出る廃棄物)や焼けた炉のかけらが沢山捨てられています。
この山の上に炉があるはずなのですが、藪が茂って今は何もわからなくなくなっていました。
兵どもの夢の跡です。
ここで作られた鋼は、たくさんの刃物になったのだろうと思います。
今は寂しく、そして静かに雪に埋もれていました。
もちろん、炭次郎も伊之助もいませんでした。