今、日南町美術館では刀剣展示が行われています。安綱が二振り、日南町美術館所蔵の刀剣が数振り、ほかにたたら関連の物や、刀剣制作の道具などが展示されています。

そして、記念講演会が開かれるというので、季節君も出かけてみました。
秋晴れの透き通った空気の中を、日南町までドライブ。
自動車専用道も好いていて、快適な気分で家入レオを聞いていました♪。←これ最近のお気に入り。

会場の日南文化センタではコロナ禍のため参加人数も制限があり、どうなることかと思っていたのですが、会場は満員になっていました。季節君は目が悪いので、一番前でノートをとりながら聞いています。講師の岡村吉彦先生はまじめな方で、ジョークも飛ばさず、こじゃれたエピソードもなくひたすら早口で話し続けられます。
鳥取県史編纂室長をしておられた先生のレジュメは、びっしり6枚。
レヂュメを補完するため、季節君はメモを取りますが、先生が早口なのでノートをとるのが間に合いませんでした
note


面白いと思ったのは、大工という言葉。
技術者の職長を大工というのですが、その配下の者は逆に「小工」と呼ばれたそうであります。現代では小工という言葉は残っていませんよね。

それから、伯耆の有力武士の多くが鉄とかかわっていたということ。
鹿野城主の亀井茲矩は大阪に行ったとき「この地鋼は銀一匁につき一貫目で売る」と書いて、伯耆から鉄を送らせたということです。
当時は鉄が貴重な産物だったのでしょう。

金持氏について、『金持の地名は鉄鍛冶に由来する』と説明しておられますが、現地を見て歩くと、鍛冶跡より鉄穴流しとかたたら跡が多い。(近世の遺跡ばかり見ているので断定はできませんが)季節君としては金持の地名は「たたらによる鉄生産」に由来すると考えたいです。まあ鉄生産があって鍛冶も存在するので同じようなものではあります。ただ地元としてはたたらの里として売っているものですから。
愚管抄に金持氏は伯耆国守護武士と書かれているというのが、痛快で気に入りました。お殿さまです。偉かったんですね。

新しい知識も得ることができました。講師の先生、ありがとうございました。