閑谷学校に行きました
皆さんは池田光正という人を御存じでしょうか?
父池田利隆の跡を継いで姫路藩主となりますが、幼かったため、鳥取藩に改易になります。
しかし、1632年、岡山藩主が亡くなると、その子池田光仲が幼少であったため、岡山藩に転勤になるという忙しい人生を過ごしておられます。
季節君が鳥取藩の古文書w勉強していると、光正さんや光仲さんの名前がたびたび出てきます。
光正さんの功績と言えば、岡山藩に閑谷学校を建てたこと。
中学校で閑谷学校のことを習った覚えがあります。
そこで、秋の天気の良い日に閑谷学校に行こうと思っていました。
そして念願の訪問となったわけです。
ヽ(゚∀゚)ノ うぇ──────ぃ♪
閑谷学校と言えば、日本で一番古い庶民の学校として、今も存続しております。
建物の造り自体はお寺みたい。
たたらの高殿より横に広く高さは低い感じであります。
なかはこのようにピカピカに磨かれていました。
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設立された1670年頃と言えばまだ戦を知っている世代もおります、たぶん
閑谷学校の玄関にはお堀もあり、写真のように頑丈な塀もあります。
裏山には大きな土塁も築かれていて、いざというときには砦にもなる作りだったように思います。
池田光正さんが鳥取藩主でいたら、鳥取藩はどのように変わっていたでしょうね。
秋の晴天に恵まれ、遠い昔に想いを馳せる季節くんでありました。