つづいて池本先生のご講演。

池本先生は古文書を調査され、緻密にその資料を積み上げ、体系的にひとつのストーリーを浮かび上がらせるといったご講演がお上手だと思っています。

今回は、幕末の九州各地、鳥取藩や近藤家の文書から伯耆の技術者の移動、その果たした役割について解明されました。

まずは、薩摩。

島津斉彬が集成館を作り、反射炉を作り、偉業を成し遂げたのは有名です。

その薩摩藩から鳥取藩江戸屋敷に「鉄を作る技術者を貸してくれ」と書状が届きます。

「でも、薩摩で鉄が作れるようになったら、伯耆の鉄が売れなくなるじゃん」

とか、薩摩から奥日野の数名の技術者が名指しされたときには

「薩摩から密偵が入っているのではないか。ただちに調べよ!」

とか言った文書が発行されています。(季節君がいくら威張っても、これを調べられたのは池本先生です)

そして名指しされた技術者たちは

「わしゃ、歳だからよう行かん」

とか

「家族の生活費に200万円。俺の給料に800万。それに顎足代も欲しいな」

とか言った生々しい文書もあります。
こういったやり取りは、現在の私たちの生活と何ら変わるところがないのです。

最終的には、二人の技術者が薩摩に行き、みごと鋼を作れるようになったため、二振りの記念刀が作られたらしいです。そして二人は日野に帰ってきて、薩摩藩主からも、ごほうびに金1500疋(50万円くらいでしょうか)もらったとか。

 

さらに加賀藩、土佐藩にも伯耆の技術者が活躍した文書があるようです。

 ヤッルゥ!o(*><*)o

 

最後の講演者は、われらが伯耆国たたら顕彰会の事務局長。

現在558か所の遺跡を踏査しているとか、いないとか。

いや、いるんだけれどね。

 

今回はその中でも、根雨手嶋家(松田家)が操業していたと確認された遺跡について、20か所ほど案内していただきました。

中には季節君も一緒に探した遺跡もあります。

舟場投げ谷やひや谷たたら、川平山などは私も探しました。

ひや谷は舟場にあり「舟場山鉄山内代々精霊之墓」と書かれた石塔のあった場所です。

 

今回の講演はとても面白かったです。

そして最後に、

「それでは締めのご挨拶を季節君にお願いします」

と言われ、途端に引きつってしまいました。

ドキッ∑( ̄Д ̄ll)

じつは、今日のパンフレットにもそうご案内が掛かれていたそうなのですが、季節君はお弁当を食べることに専念していたため、自分の役目を見逃していたのでありました。

 

そんな事もありながらなんとか無事に終了した今回のフォーラムであります。

おいでになった皆様方。岡山の先生や島根の著名な先生、新見の庄からもおいででした。皆さんありがとうございます。