たたらフォーラム2019

平成31年2月24日。平成最後のたたらフォーラムです。

今までは資料の多く残っている近藤家のたたらを中心にフォーラムを開催してきましたが、文化庁からのアドバイスもあって、これからは近藤家以外の鉄山師についても調べて行こうということになりました。

昨年は阿毘縁木下家について発表頂きましたので、今年はさらに先生方にご無理を申し上げ、近藤家と木下家以外の鉄山師という縛りにてフォーラム開始です。

 

その前にロビーでは、新しくできた装備類の展示。

米子でたたらを行った折に、わかりにくいとのご指摘を受け、グッズを開発しました。

現地で展示する看板やパネル。砂鉄投入用の助走路などです()
roby

 

お昼に講師の先生方がおいでになりました。

いつものように控室でお弁当を頂きながらの打ち合わせ開始。

ところが、控室は暖まっていないし、お弁当は冷えて固まっています。お茶を飲んだ季節君まで寒さで固まってしまいした。

先生方には寒い思いをさせてしまって大変申し訳ございませんでした。

<(_ _)>

 

フォーラム開会の後、こういった会でのお決まり通りに、まずは主催者あいさつ。そして地元日野町や鳥取県からのご挨拶がありました。

 president

さて講演です。

一番バッターはイチロー 伯耆国たたら顕彰会の会長が平成30年に行った事業の報告をなさいました。

そして坂本先生の「江戸期、鳥取藩の鉄山師たち」のご講演

坂本先生は鳥取藩の資料を誰よりもたくさん読みこんでおられます。

まずは大庄屋の変遷から見た奥日野の鉄山師。

奥日野は江戸時代には比較的珍しく、年貢を貨幣で納めています。それだけ鉄の流通を通して貨幣経済が浸透しているという事のようです。それを取り仕切る大庄屋は鉄山師なので。その変遷を見れば、時代ごとの成功している鉄山師を辿ることができるのです。

さらに掘り下げると、文化二年の文書には鉄山師17名の名が出ていますし、天保4年には22人の鉄山師の名前が出ます。

その鉄山師はどのように鉄を捌いていたのか、というのが今回の主要なテーマでした。

答え。~時代によって変遷している。

すごく細かい調査に驚きながらも聞き入っていました。

鉄を売りさばき、代金を融通し、中には倒産して鉄山を取り上げられたり、販売先も大阪から江戸に移り、地元での販売もあったり、鴻池が後ろ盾に成ったり、そんな中で大宮段塚が重要な役目を果たしたり……ここではとても書ききれないほど内容の濃いお話でした。
今回、こういった研究発表が出来たのは、大宮段塚家の文書が発見されたからです。
大宮は阿毘縁や山上の鉄を集積する立地であり、それを大宮段塚家が鉄問屋として境融通会所と同様の役を担って金融、運搬などを仕切っていたということがわかりました。
今更のように、こんなことがわかってくるのが奥日野の恐ろしい 素晴らしいところです。


あまりに集中しすぎて、普段使わない季節君の脳みそがけいれんしはじめました。

つづく……