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もう賢明なる皆さんはご存知だと思います。


日本で最古といわれる、たたらの秘伝書『鉄山秘書』(またの名を鉄山必要記事)を執筆した下原重仲さん。


下原さんの生誕地は伯耆国日野郡深山口ですね。


今回はわが伯耆国たたら顕彰会の遺跡調査担当のインディー氏とともにこの深山口に行ってみました。


俣野の本線道路から深山口方面に右折し、この辺りの墓石を見ると、下原や森といった重仲親戚筋の名前があります。


流石じゃ(ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-


すこし行くと第一村人発見。


田の畦を草刈して手入れしておられる方に遭遇し、お話を伺います。


『このあたりにカナクソが落ちているところはご存じないですか?』とお聞きすると、思ってもいない質問だったのでしょう。


????


目が点になっています。


日野、日南ではたたら調査がかなり知られてきて、すぐにいろいろ教えてくださるのですが、江府町ではまだ私たちは新米です。


それでも、たたらの跡を探していることを説明すると、自分はこのあたりのものではないので良く分からないがといいながらも教えてくださいました。


教えられたとおり橋を渡って、右に下がる小道を行くと、、、


 


足元がガラガラします。


もちろんカナクソです。


調べてみると、この小さな小道50メートルにわたってカナクソが産卵しています。違った散乱しています。


(;^◇^;)ゝ イヤァ


 


かなりの量です。


道路の埋め立てに使ったのかな?と思えるくらいの量です。


その下の小川にはまったくカナクソなし。上から投棄したとすればこれは不自然です。


本床(炉のあったところ)はここではないのかな?と思いつつ更に詳しく観察。


小道左側は一段高くなっていて平地となり田んぼです。


その壁面にもカナクソがかなりの量埋まっているのを確認。


つまり、田んぼの部分が高殿(工場)で、そこから出たカナクソ(廃棄物)を小川に向かって投げ捨てた。


その間にあった小道には今でもカナクソが大量に堆積しているが、小川は急峻で流れが激しく、大水が出るたびにカナクソを押し流したのであろうと想像しました。


写真撮影をしながらカナクソを拡大してみると、坂道の上側では大きなカナクソ、鉄分の残るカナクソ、赤く焼けてガラス状になった粘土塊(粘土を高温で熱し続けるとこのようになります、つまり炉壁)などが多く見られます。



(壁面に埋まっているカナクソに磁石がくっついている)


坂道を下ると大きなカナクソは見られなくなります。


そして一段下がった10メートル四方くらいの平地が草むらになっています。


この草を掻き分けて土をサンプルに掻き出してみると、炭片が多く見られます。



つまりここが鍛冶場であろうと考えられます。


そこから20メートルほど下ると、カナクソは見られなくなりました。


下原姓の民家からも近いところから、重仲のたたら場であった可能性も大いに考えられます。


そんなこんなをしていると、近くのおうちに車がかえってきました。


 


実はこれが事態を進展させる大きな出会いとなったのでした。


(いいところで続きます)。。。。