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昔、東京帝国大学の俵国一博士が伯耆の国、都合山のたたら場を調査されたというお話はこの業界では有名なので、皆さんご存知ですよね。


その資料をもとに安来、和鋼記念館で、都合山の10分の一模型を作りました。


建物の10分の一とはずいぶん思い切ったものです。


和鋼博物館に現在ある模型も同サイズで作られていますがずいぶんと大きなものです。


 


時代からしてまだ俵先生がご存命のときですし、和鋼記念館自体が俵先生の肝いりで建てられたものですから、この模型を俵先生が監修して作られた可能性は高いのです。


暖簾だとか、金屋子の神棚だとか、実物を見た人でないと知らないところも作られています。


その模型は和鋼記念館が和鋼博物館になった頃、新しいものに作り変えられました。その初代の模型がどこに行ったのか行方不明だったのですが、今年の春に倉吉の旧家で見つかりたたら顕彰会に寄贈されました。


現在、文化庁の助成を受けてわれわれの手で修復中です。


まず、丁寧に掃除をし、壊れた粘土などの瓦礫を取り除きました。粘土はみかん箱で5杯くらい出たと思います。


屋根をブラシがけでクリーニングしました。


しかしここで、瓦礫を取り除いてみると、あまりに状態が悪くこのままでは修復しきれない。もっと大規模に徹底的に基礎から作らないとだめであろうということに気づきました。


 


瓦礫の中から、人形の頭とか、暖簾の切れ端とか、資料になりそうな破片を集めます。


そして高殿の中から、中心にあった炉と天秤ふいごを取り外しました。幸いこの部分は1つの板の上に作りつけられていたので、この心臓部ともいえる部分を運び出すことに成功したのです。



そして人形はそれぞれ修復して、保存してあります。


 


高殿本体は、上屋を分離し、柱などを補強しました。



ずいぶんと虫食いになっていたので合成樹脂で補強し、着色しました。ここまでで3ヶ月くらい掛かりましたかね。


 


また、小部屋も修復をしました。落ちた壁を直すために柱を入れ、壁板を張り、壁土を塗り、堀コタツを作り直し、天板を張り、床板も修復、暖簾をつけて出来上がりです。


 


高殿本体の土台部分は床板をはがし、本当に基礎の板から狂いを直して組み立てました。



そして、先日から上屋を基礎に戻し、固定。柱も位置を確かめて固定。床板も固定。


現在壁を作る工事中です。それぞれの作業をするたびに材料から苦心して集めて掛かると言う状態が続いています。


ときには左官さんの仕事をし、ときには大工仕事もしながらの修復です。


 


そして、炉の部分なのですが、一度修復をされているみたいで、合成樹脂で作られています。これを、粘土で作り直したら?という意見が出ていまして、現在準備中です。


たたら場から本当に炉を作った粘土を掘り出してきました。そして図書館で俵博士の図面をコピーしてきました、それをもとに10分の一サイズの図面を作りました。


粘土は、本物をたたら場から取ってきました。ごみを取り除き、水を入れて丁寧にこねます。


すると、ぼろぼろしていたものが少しずつ固まり始めます。


しかし、けっこうつらい作業です。欲張らずに少しずつこねることにしました。


バケツ一杯をようやくこねてこねて準備完了。明日は間違いなく腰痛が発生しますね。


図面を切り取り、粘土を延ばして張り合わせてみます。そしてはみ出たところをカット。


慎重にくみ上げてゆくと、なんだかギクシャクして箱型になりません。


あちこちを削ってむりやり整形してみると、サイズが少し小さくなってしまいました。


仕方なくやり直しです。


木とちがってビス止めもできないし、力を入れるとグニャリとなってしまうので意外と難しいのです。


それでもなんとか形にはなりましたが、思っていた以上に難しい作業でした。


これを、皆さんに見ていただいてご意見を伺うことにしました。


このときは、私は大変な事態が起こっていることを知るよしもありませんでした。