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中国山地たたらサミットに参加いただくために、伯耆の国たたら顕彰会の事務局が宍粟市に行きました。宍粟といえば千種鋼の産地です。


丁寧に対応いただいたようで事務局も大変喜んでおりました


 


写真を見せていただいたところ、聞きしに勝る立派な遺跡に驚きです。


季節君も、近いうちにぜひ一度行ってみたいと思いましたね。


 


私が本で読んだあいまいな記憶ですが、日本書紀などによれば、西暦560年頃大伴狭手彦が朝鮮に出兵し金屋と呼ばれる人物を連れ帰った。その人を近江に住まわせ、その後千草に移住。そして島根県比田に迎えたとあります。これがまさしく金屋子伝説と重なるのです。


したがって千草は日本でも一番古い頃に製鉄が行われていた可能性が高いです。


 


そして備前長船で刀が大量生産されるようになると、その鋼の生産地として繁栄しました。


その後、江戸時代には天領となりたたら場の造営が難しくなります。したがって、ひとつのたたら場を大事に守って代々、あるいは経営者を換えてたたらを続けて行ったようです。


 


奥日野のようにたたら場の建設が自由に行われ、小鉄7里に炭3里といわれるように、現地生産方式で転々とたたら場が移動を繰り返していったのとは対照的です。


 


また、島根県では、松江藩のバックアップのもと、鉄山師を限定していたと聞きます。


 


こうして考えると、たたらの歴史についても各地でそれぞれに特色があります。


こんどのサミットではそれぞれの地域の特色などをいろいろ伺ってみたいと思います。


各地の皆様、ご協力をお願いいたします。