カテゴリ:

次に向かったところは上夏ヶ谷というところ。 車を止めていきなりあたり一面にカナクソがごろごろ。このところたたら場を歩くことが多いので、歩いた感じでたたら場だってわかるようになりました。


写真の右端に緑のジャンパーの人が写っています。これでサイズはわかりますよね。若い女性だったらアップで写してもいいんですが、残念ながら。。。。


 


(気を取り直して)やはり道路に近いので周辺は田んぼになっています。土中に埋まった大きな鉄滓が見えます。



こういうのって掘り出したらとんでもなく大きいとか。もし1トンくらいのが出れば本床近辺に間違いないんですが素人が掘ってはいけないのが遺跡調査です。 鉄滓も非常に多く水路も張り巡らされ、平地も広くいかにも高殿があったでしょうという地形になっています。阿毘縁では法橋二家と木下家が山を分けて鉄作りをしたという古文書がありますのでどちらかのたたら場でしょうね(これが山分けの語源になったと言う説はないですかね)。残念ながら金屋子さんや鉄山墓は今日のところ発見できませんでした。この場所は鳥取県生産遺跡調査の資料にはない遺跡ですので新たに書き加えられることになります。 そしてこの奥にもまた、鉄滓が出るところがあるそうです。このあたりは以外にも赤目砂鉄なのだそうで、粘りのある鉄作りを得意としたそうです。 日南町は山が深く谷も多いためいたるところに製鉄遺跡が眠っています。奥出雲が御三家に限定して鉄作りをしたため、伯耆では出雲からやってきた鉄山師も群雄割拠し、結果としてこのように膨大な製鉄遺跡郡が残されることになったのでした。 これが伯耆の国の経済を支えたのだなってぼんやり考えてしまいました。


おそらく本床があるであろう小高い丘は周囲がぐるりと田んぼになっていて歴史を感じさせる風景を形成していました。


そして、ついに高殿発見!


 


 



 


とおもったら私の知り合いの民家でした。外観がそっくりなので、高殿の作り方も民家の作り方を流用したんでしょうね。こうしてみるとよくわかります。おそらく現実の高殿もこういった感じで風景に溶け込んでいたのでしょう。


それでは日も暮れますから続きはまた今度と、ガイドしていただいたかたにご挨拶し帰り道を急ぎます。秋の夕暮れはつるべ落とし、夕暮れの道を車を走らせていると、、


ややっ!! こんな看板が出ています。


(おしいところでまたも続きます)