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根雨の町は、昔江戸時代にはたたらで繁栄するとともに、交通の要所ともなりました。
日野川を渡る舟渡しが出来たり、宿場があったりしました。
そして、松江藩主 松平公が参勤交代で江戸にお出かけになるときは必ず根雨の宿場で宿泊されました。そのため米子から二部をとおり根雨に来る道を出雲街道と呼びました。
現在ならさしずめ、東京を結ぶ高速道路といったところでしょうか。でも大名行列には交通渋滞は無かったと思います(笑)。

根雨宿では、はじめ多里から根雨に移り住んだ資産家の緒方家が殿様の宿となりました。その後、梅林家が本陣になります。
そして時代が移り梅林家は大阪に出て行かれます。
そのとき、紳士協定で本陣の門を預けておくからね。と言われて先代の根雨神社の神主さんが本陣の門を受け取られたのだそうです。
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紳士協定の意味が良く分かりませんが今でも梅林家の玄関に本陣の門はしっかりと建っています。
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風情があって、おうちともマッチしていいところに預けられたなって思います。
万が一、季節君のうちにでも預けられていたなら、とんでもないことになっていたでしょう。      きっと。。。。。。