金持神社の巻 上巻
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その名残で根雨の町には祗園橋、祇園神社、延暦寺などがあります
ではなぜそんな有力な武将が日野に流されたのでしょう。
昔から伯耆の国は製鉄が有名でした。今で言うならシリコンバレーのようなものです。
竹やりや銅器では鉄器にかなわなかったのです。そこで、中央政府では伯耆の鉄を手に入れようと上級官僚を派遣します。藤原氏一族のひとびとがやってきたようです。
やってきたのは今の金持地区。当事は砂鉄の出るところで鉄は作られます。そういったところを金地(かねじ)といい、それが金持になったと伝えられています。
やってきた中央の官僚は大きな力を持っていましたし、中央政府に忠誠を誓っていたので長谷部信連をあずけたのでした。
その中央官僚の藤原氏が現地で金持党と名乗りました。
金持ち神社売店のちょっと上流側に大きな駐車場があります。そこに金持氏の石碑が建てられています
りっぱです。こんなのを立ててもらえるとは当時の人は思ってなかったでしょうね。
そしてその近くには金持ち神社のいわれなどが説明してあります。
私などが ない頭でいい加減なことをかくより読んでいただいたほうが間違いないです。
そして売店。札所と書かれています。
ここには1万円札をすいて作った扇子など、ミリオンヒット商品もあります。
最近はお客さんが絶えることなくやってこられます。年中無休で営業しています。
私が伺ったときも、看板娘ならぬ金持娘さんが接客してくださいました。
なんともうれしいです。金持ちになれなくてももう後悔はありません(うそです)。
そしていよいよ金持ち神社へと向かいます。
なにやら風雲急を告げる怪しげな感じです。私の下心が見透かされたのでしょうか。
季節君の運命やいかに
つづく