カテゴリ:
日野町根雨の町外れに日野川に架かる橋があります。
その橋を舟場橋といい、対岸の集落を舟場といいます。
なぜ舟場というかというと、ここに船着き場があったからです。
昔の日野川は水量も豊富で渡し舟や上流、下流への貨物運搬用の舟もあったようです。
この渡し舟によって松江藩は参勤交代をしたわけで、橋の袂に当時のイメージでブロンズ像が建っています。この橋を架け替えるとき、若き日の私も参加して作戦会議が開かれました。結果は、根雨の歴史的イメージを残し、後のメンテが要らないものということでこのようになりました。
null
今思えば、この橋を作るときでも、リバーサイドひのを建てる時もなぜか私は委員になっていました。しかし、おばかな提案ばかりしていたようでまったく採用されませんでした。しかし今もいろいろなところで委員になっているところを見ると、まだ世の中の人には見捨てられていないようです。なぜなんだろ?とめずらしく神妙に考えてみたりもします。
ま、考えてもわからないことの多い世の中です(笑)
わたしのようなおばかな人間はさておき、どうか優秀な人、日野郡の活性化のために力をお貸しください。
null
そして看板もこのようにしっかり立ています。

日野川の利用には他にも舟が行き交っていました。根雨→米子。あるいは日南→根雨便です。
このお話はまた今度。。。。