トークセッションの中、阿毘縁に付いて思うことを問われ、季節君は木下家と谷中山遺跡の印象を話しました。

しかし、谷中山は笠木であって阿毘縁ではなく、いらぬ恥をかいてしまいました。

('◇')ゞ


木下家が最初に創業したたたら場はどこだったのですかと尋ねたところ、木下家もいろいろあるからよくわからないとのことでした。


じつは「 山分け文書 」という古文書があり、
尼子氏の小林右近から領地を譲り受け
慶長四年(1599年)弐月弐拾六日に木下孫四郎と法橋太郎右衛門、法橋又右衛門の三人で山分けをして操業を開始しています。

 

堤ケ谷境出口そね切頭は雲州境切左の頭は小鉄峠くるひ山のぎんば切是壱分

水槇山川の渡りの小そね切より二松峠の右そね
云々が孫四郎(のちの初代彦兵衛)の領地となっているのですが、季節君は土地勘がないので、この文書がどこを差すのか皆目見当がつかないのです。

今回の座談会で、地元でもはっきりとは伝わっていないのかなあという感じがしました。
それでも有名な木下家の事ですから、調べればどこかの文献で見つかるのでしょう。