原田道寛著「日本刀大全」を読んでいます。
日本刀というものは本当に奥の深いもんだなと思います。
で、季節君はもちろん、日本刀の鑑定などと言う大それたことを学ぶつもりはないのですが、鉄と日本刀については気になります。

以前から読んでいた色々な刀剣解説書でも、もともとは日本刀は銑鉄を使っていたと書かれています。
この本では応永年間以前は銑を使って、刀工が苦心惨憺して刀を作っていたが、応永になってたまたま出羽の鋼鉄千草鋼が発見され、次いで各地の鉄山にて立派な鉄を売りだすようになったとされています。
しかし、どうもこの文章は出羽鋼と千草鋼を混同しているように思えます。

さらに今谷明先生の「琵琶湖と淀の水系」によれば、たたらは平安に完成され鋼が発見された。これにより日本の刀剣は著しく進化する。となっています。私としてみれば、平安期の製鉄遺跡にはすでに完成期に近い製鉄炉が出来ていたようですので、平安期には鋼が発見されていたのであろうと思うのです。

もっとも原田道寛氏はたたらがご専門ではないですし、ずいぶん古い書物(昭和初期)なので、この辺りは致し方ないのでしょう。

問題は、安綱が銑鉄を使ったか鋼を使ったかであります。時期的にはどちらがあっても頷けるのですが、どうなんでしょう。やはりこの辺りがご専門の先生方はちゃんとご存じなのでしょうね。

江戸時代の虎徹と言う人がいます。兜職人だった人が五十を過ぎてから刀鍛冶に変身されました。兜の古い物などを鋳つぶして刀にされたそうですし、山本兼一著「一心虎徹」では桜井家の銑鉄を使ったくだりがあり、桜井家にも取材に行かれたそうなので全くのフィクションではない。

昭和になって鋼が手にはいらなくなった刀工は金床を潰して刀にしたという書物もあるので、いろいろな鉄の炭素量を調節して鋼の代用にしたのでしょう。
南蛮鉄を使って作られた日本刀もありますし、刀鍛冶は鉄の性質をよく知っていて、縦横無尽に使い分けたのでしょうね。

先日の刀剣展を見に行ってから、鉄と刀についていろいろと考える季節君でした。

※ (後日談)この記事については、やはり先輩からご指摘を受けました。銑鉄で刀を作るという表現は適当ではなく、銑を卸した卸金を使って刀を作るというべきだそうです。なお、印賀で採れた砂鉄でたたらを吹いた場合、なかなか溶銑は取れず、大方が鋼を含んだ鉧になるそうです。それでも、銑鉄にしたい場合は赤目砂鉄を混ぜると銑鉄になるそうです。