どこかの刀剣書で、『古文書に、童子切は伯耆の鋼が使われたと書かれている』となっているのを目にしました。そのときはスルーしてしまったのですが、この古文書とは鉄山秘書を指すと思われます。

ちょっと私が作った鉄山秘書の覚書きを読み返してみました。

砂鉄については、「俣野村と印賀村、宍粟には刄金押しによいものがある。ほかには見当たらない」と書かれています。
また、「踏み鞴から天秤ふいごになって刄金が違ってしまった。」と書かれています。

俣野刄金は質が良く、童子切という名刀も俣野刄金を使ったものだと思われるーとも書いています。

鉄山秘書がかかれたのが1785年なので、大原一門から500年くらいたっています。
下原自身が俣野刄金を作っていたので、それくらいの自負はあったんでしょうが、大原一門が俣野刄金を使ったという確証はありません。
しかし、それでも印賀刄金のことを記載しているので、昔から印賀の鉄は優秀だったことが知れ渡っていたのでしょう。
むしろ、印賀刄金や、童子切安綱を俣野刄金と列記することによって、俣野刄金の優秀さをアピールしたかったとも考えることができます。
とすると、やはり通説通り印賀鋼が大原一門の鋼の可能性が高いと思います。
ちなみに、印賀鋼はその成分が特筆するほど優秀で、明治期の海軍が全国の鋼を調査した末に印賀鋼を指名して低燐鉄を作らせたというほどの経歴を持ちます。(この低燐鉄の製造は明治、大正期には出雲御三家も製造しておられます。)