昨日、太平記について書きましたが、実はあまり知られていないのが、平家物語についてでして…
太平記より平家物語の方が、150年ほど古いのです。したがって平家物語を原本として太平記が書かれた可能性が極めて高いです。---とおもいますです。季節君は素人なので確証はできません。

で、平家物語を読んでいます。
これがまた長い。


(。ノ_・。)ウッ・・

要約を書きます。

髭切、膝丸という二本の剣の由来は、多田満仲が鎮西府将軍になったとき、「天下を守るものが良い刀を持っていなくてどうする」と言って、各地から鍛冶を集めて刀を作らせたが思うものができない。筑後の国三笠郡土山に異国からの鉄細工師がおり、それを呼び寄せたがよいものは作れなかった。細工師は八幡宮に祈祷したところ、60日後に鉄を鍛えて作りなさいとお告げがあり、細工師は60日後に二本の剣を作った。満仲は大いに喜んで、その刀で罪人を切ったところ、一人は髭まで切れたので髭切、ひとつは膝まで切れたので膝丸と名付けた。

その嫡子頼光の時には不思議なことが多く起こった。

人が行方知れずになることが起こる。これを詳しく尋ねると、嵯峨天皇の時、嫉妬深い娘が鬼になって男女を問わず攫った。宇治の橋姫とはこのことである。

頼光四天王の一人、渡辺綱が頼光より髭切を持たされ、一条大宮に行き一丈戻り橋に差し掛かったところ、若い娘が南に向かって歩いていた。綱がこれをナンパして馬に載せ、送り届けようとすると、娘は鬼になり綱の髪を掴んで飛び去ろうとした。綱は髭切で鬼の腕を切り落とす。これを頼光のところへ持って行くと「これはえらいこっちゃ」と、安倍晴明をお呼びになり訊くと「7日の謹慎をしてください。」というのでその通りにした。

6日目のたそがれどきに綱の養母がやってきて、どうしても屋敷に入れろとヤンチャを言う。そして屋敷に入れると今度は「鬼の腕を見せろ」とわがままほうだい。鬼の腕を見せると、養母は鬼に姿を変え「これはわしの腕だ」と腕を持って飛び去ってしまった。以来この髭切を「鬼丸」と改名した。

 同年の夏、頼光は病気にかかり30日の間苦しんだ。ある夜、法師が出てきて頼光を綱で縛ろうとした。頼光はこれに気付いて、そんな趣味はないと膝丸で切りつけた。四天王たちが駆け付けてきて、血痕を辿ると北野の裏に塚があった。そこには4尺もある蜘蛛が居たので串刺しにして河原にさらした。これいらい膝丸を「蜘蛛切」と号した。

その後、この二振りの刀は源氏代々に伝わる。前九年、後三年の役などはこの刀の霊験により戦では連勝する。鬼切は夜な夜な獅子が吠えるような声で鳴くので「獅子の子」と改名され、蜘蛛切は蛇のように鳴くので「吠丸」と改名される。吠丸は為義から娘婿の教真別当に与えられ、熊野権現に奉納される。一本ではなんだか寂しいなと、吠丸の代わりに作られた刀は小烏と命名されるが刀身が少し長い。二つ並べて立てかけて置いたら、獅子の子が倒れて小烏を切って同じ長さにしたので、獅子の子を「友切」と改名する。しかしその後、友切を持つ頼朝に連敗が続く。義朝がそのことを八幡大菩薩に妬むと、名を元に戻せと夢のお告げがある。髭切に名を改めたところ、再び頼朝に武運が戻り活躍するようになった。

まだまだ続くのですがここで季節君の心が折れてしまいました。
また気が向いたら書き続けます。
ちなみに、源平盛衰記や平治物語もこれを原本にして書かれています。
平家物語を読むといろいろ思うことがありますよね。
髭切は 「銘尽」という 刀の古本書(重要文化財だったかな)に伯耆鍛冶の項目で出てきます。