以前、舟場山を調査し3か所の遺跡を見つけました。

一番下の遺跡は、地主さんが畑にしようと掘ったら地下構造が出てきたというもの。

近くの正音寺は季節君の家の菩提寺でもあります。
詳しくお話を聞いて、投谷山と仮名をつけました。

その谷の奥から鉄滓が見つかったと聞き、再調査となったのです。

角田先生が、地形をご覧になり、インディー氏とどんどん藪の中に入ってゆきます。

あわわわ。熊がいたらどうするの。蜂がいたらどうするの。マムシもそろそろ出るころですし。。。

そう。。。ですか。。。
季節君も足場の良いところを選んでついてゆきます。

「あった、あった。椀型鍛冶滓がいっぱいあります」との声

kakuda

降りてみると、いっぱい鍛冶滓がありました。

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そして、さらに上流には平地が造成されていて、水路も残っています。

足元にも椀型鍛冶滓があります。
これは、大鍛冶の火窪にたまるもの。
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ここに大鍛冶があった物証ですね。

鍛冶場を備えた総合完結型コンビナート的たたら場といえば、近藤家の可能性が高いです。

明治7年の舟場村と近藤喜八郎が結んだ村議定によれば

「此度、舟場山生木買受候付鍛冶屋一軒ニテモ二軒ニテモ勝手次第、年限ノ儀ハ都合ニヨリ何年ニテモ相稼申ス可ク」

となっているので舟場山ということになります。

しかし、2か所目のたたら場 ヒヤ谷たたらからは舟場山と書いた石碑が出ています。
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舟場山鉄山内代々精霊と書かれています。

さらに、舟場部落誌では、一番上流の3か所目のたたら場こそ舟場村の共有地であるから、議定を結んだ近藤家の舟場山だと書かれています。

いよいよ謎は深まってしまいました。
季節君は今夜も眠れそうにありません。