腰物目利口伝書を読んで
腰物目利口伝書の解読が途中になっていてすいません。私の持ち物でもないのに、全文を公開してしまうのはいかがなものかという、どうでもいいようなことを考えてしまい、そのあとを公開していません。
もちろん全文をすでに解読しています(間違いもあるでしょうが)
そこでこの後の文章の中で気づいたことを2つほど書いておきます。
まず「伯耆の刀の事が書いてないという事」
これは私にとっては大問題。
京都五鍛冶のことは書いてあります。
備前刀の事も書いてあります。
それから鎌倉の事もありましたね。
考えられること①
著者が関西圏にいた。だから京都の事に詳しかった。
逆に古伯耆のことは認識がなかった。
考えられること②
安綱などは一般の刀剣商が取り扱うことのないものだった。
文中に偽物をつかまされると失敗するとか書いてあるので、おそらく実際に刀剣を取り扱う商人だったのでしょう。だから一般の人が扱わない超希少な古伯耆などは眼中になかったという事かもしれません。
伯耆の鋼の事が書いてない
南蛮鉄で刀を作ることが書かれています。
刃金は出羽鋼、宍粟鋼を使うと書かれています。
なぜ伯耆の鋼が書かれていないのか。
①時代が違う
印賀鋼が売り出されるのは、この書物が書かれてから10年後になります。
②地域が違う
この時期には奥日野の鋼は安来港から出荷されることが多かった。
それを防ぐために鳥取藩は境港に鉄山融通開所を開設することになります。
つまり、安来から出荷される刃金は伯耆の鋼だという認識がなく、むしろ出羽鋼のお仲間のように思われていたのではないでしょうか。
という事で、この時代の奥日野の鋼は、まだブランドとして確立していなかったのかもしれません。
もちろん取引は盛んにおこなわれていたようではありますが。
という事で、この書物を書いた人は、伯耆の人ではないというのはまず間違いないと思います。
季節君の一考察でありました。





