都合山正体不明の遺跡は1300年ころのもの
日野町上菅の山中に都合山のたたら遺跡があります。明治22~32に近藤家が操業したことで有名です。
鳥取県の指定史跡になっています。
明治30年、操業当時に俵国一氏が調査され『古来の砂鉄精錬法』という本になっています。
今から20年ほど前には角田先生が発掘調査された遺跡です。
昨年(2025)、この近藤家の遺跡の隣にある不自然な空き地の発掘調査が行われました。
以前からたたら場が埋まっているといわれていたところです。
この時のことは以前レポートしました。
月瀬村西村家が江戸時代末期に操業した遺跡だとわかりました。
私たちが行っている日野町古文書整理ボランティアでも関連文章が見つかったりしています。

明治3年の古文書ですが、都合山運上銀が近藤家と西村家によって支払われています。
しかし、その隣にたくさんの流動滓があったことから(カナクソのことね)そこも調査されました。
史跡内ということもあり、他を壊さないように軽くね
その場所から出た木炭を放射性同位元素による年代測定していました。
そしてこの度その結果が出たのです。
言っていいのかな?
なんと、1300年ころのものと判明しました。
鎌倉か室町はじめくらいですね。
室町時代とは足利尊氏が幕府を開いた1336年からとされています。
奥日野で年代が確定した遺跡の中では一番古い時代のものではないでしょうか。
これから精密調査が行われるのでしょうが、どんな構造になっているのか楽しみなことです。
奥日野で室町の遺跡はいくつか見つかっているのですが(山上大笹奥、福長下の原、久住など)それより古い時代のたたらはどう違うのでしょうか。
さらに、1300~1860年(西村家)の間に長い空白期間があります。
1300年にたたらを行い、道もついている場所ですから、何もしないでいたとは考えにくい。
周辺が真砂山で川もあり森林もありといった絶好の環境です。
平安期の刀鍛冶伝説もある場所です。
かならずたたらは行われ続けたはず。
伯耆国たたら顕彰会では、周辺に5か所くらいの製鉄跡を見つけています。
国指定史跡に向かって今後どのように展開してゆくのか、風雲急を告げるというやつです。
今後見どころ満載の都合山です。

