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2025年09月

都合山鑑賞会

私が属する「日野町古文書に親しむ会」のフィールドワークで都合山に行くことになりました。
今年の都合山は、新たな発掘調査があり、世間の注目を集めています。
参加者は「古文書文書に親しむ会」の9名と地元から1名、鳥取県立公文書館から2名追加の13名となりました。
伊藤先生、池本先生、日野町教育委員会の学芸員さんなど恐るべき観客に対して、ガイドとして挑戦するのは季節君です。
たたら初心者の方から研究者の方までガイドしなくてはなりません。難しい説明は避けてわかりやすい説明をしようと思いました。質問があればその時に突っ込んだお話をするということで対応しようと思います。

黒坂公民館から乗り合わせて出発。
近江畑に車を置いて歩いて急坂を登ってゆきます。
気合を入れて歩いていたら、歩くのが早すぎるとお叱りを受けました。
前回の現地調査では、観客として歩いていた季節君が「先頭が早くてしんどい」と文句を言っていたのをはっきりと覚えています。
気合の入れようで歩くときのしんどさが変わるんだなと、おかしなことで感心する季節君でありました。
途中で、道沿いに真砂土の崖があります。それを切端(砂鉄採取場)に見立てて鉄穴流しの説明をしました。
本当の切端に行くには、大変な山道を歩かなければならないので、ここで簡略化して説明です。

さらに歩くと、道が山の尾根を切り取るように通っています。
IMGP0009

「この尾根の上には、実際に井出があって鉄穴流しが行われていたのですよ。左2KMの沢から取水していて、道路上に橋を渡し、右の200メートル先から谷に落としています。その下に選鉱場も残っています」
数年前に角田先生が発見された鉄穴流しの史跡です。
つまりここはすでに都合山の遺跡の中に入っているのです。

坂道を下って都合山遺跡の入口へ到着
15分くらい歩いたでしょうか。
上流には5か所の遺跡があり、下流にも1か所の遺跡があります。
今日見学するのは正面にある3か所の発掘調査の終わった遺跡です。

と説明しつつ、橋を渡って遺跡の心臓部へと歩を進めます。
山内集落、大鍛冶、砂鉄洗い場、本小屋、明治22から明治32年の高殿までを一気に案内しました。
ここは、20年ほど前に角田先生が発掘調査され、明治時代には俵博士も調査された近藤家のたたら場です。
現在は鳥取県指定史跡となっています。

ここから先が今年の発掘現場です。
金屋子神社前にある広場の第一発掘現場。
建物の基礎と炭が出ているので、炭小屋跡だったらしい。

その隣接する空き地にブルーシートがかけられています。
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ここが今回のメインの第二発掘現場。
江戸中期の陶器が出ている。
結構な大きさの高殿がある。
もちろん、小舟もあり、ぐるりを囲うように石が出ているので、しっかりとした地下構造が作られている。
以上の結果から江戸時代末期の西村家の遺跡だと想定されます。

そして、そこから川上に50メートルほど歩いて行った先には大量のかなくそが放置されています。
第三の発掘現場です。
ここに製鉄炉があったのは間違いない。縦長のトレンチを掘って調査したところ、焼けた土や粘土は見つかるものの、はっきりとした製鉄炉は発見できませんでした。
山際に水路があるので、その下に古い炉があるのではないかという意見でしたが、指定遺跡なので壊すわけにはゆきませんでした。また、もっと深いところに製鉄炉が埋まっているかもという意見もありました。
木炭が残っているので、年代分析をするそうですが、室町時代というざっくりとした予想が建てられています。
どうやら、高殿はなかった、いわゆる野だたらような立地でした。

今日の見学は移動を含めて2時間ほど。
先生方にいろいろと教えていただき、ガイドするより教えていただくことの方が多いくらいの、自分も勉強になった見学会でありました。

でも、楽しかった(笑)







松井和幸先生の『鉄の日本史』を読んでいます。
2022年発行なので新しい本です。

これがおもしろい!
東野圭吾も面白いし、伊坂幸太郎も面白いけれど、全く違った面白さがあります。
読みだしたら止まりません。
先生は、広島県三原市小丸遺跡を発掘されたご本人らしいです。
広島にたたらのお話をしに行った折、サービスエリアでこの遺跡を見ました。
弥生時代の製鉄遺跡の可能性があるとの説明文に「えっ!」と声を出して驚いた記憶があります。
私は学者ではないので、持論とかはなく、ただ単純に面白いと思って読んでいます。

製鉄発生が弥生時代だという説と古墳時代だという説があるのは知っていましたが、この本を読んで改めてその詳細を知りました。

ほかにも、自分が定説だと思っていたことが、あちこちで覆される面白さ。
自分は世間知らずなんだなって改めて思い知らされました。
残念ながら、伯耆のたたらについてはあまり触れておられず、どういった感想をお持ちなのかなって気になりました。
あちこちに未調査のたたら跡はあるようですが、奥日野のたたらについては、地元の我々が素人のできる範囲で、こつこつと調べてゆこうと思いました。

今年もふいご祭りの季節がやって来ました。
いきいき日野ふれあい祭りの中で令和のふいご祭りを行います。
10月26日 日曜日
場所は日野町役場駐車場
無料駐車場もあります。

当日は、ミニたたらの実演
鍛冶屋体験のなかでのペーパーナイフづくり
そして、11:00~ 舟場山遺跡の探検をします。

舟場山たたらと呼ばれるところは数か所ありますが、今回探検するのはその中でも最大の遺跡、ヒヤ谷たたら遺跡です。
沢山の石垣で囲まれた神秘のたたら場
簡単な図面を用意しますので、どこにどんな施設があったか、想像してみてください。
すでに高殿とカナクソ捨て場の位置、2か所の進入路、水路はわかっているので、お教えします。

先着20名ほどで参加無料となる予定です。
とりあえずご一報の告知を致しました。

たたらの楽校に訪問者がありました。
午前中は東工大の院生
学生といってももはや研究者です。
こういった人たちは独自の研究をしておられて、未発表の最先端研究をしておられるので侮れません。というか、ついて行けないだろうということで、K氏に任せて季節君は敵前逃走します。

午後は、鳥取短大の女子大生。
こちらのお世話をすることにしました。(笑)
たたらの歴史文化をどうやって伝承してゆくかという東シナ海の海溝より深いテーマをお持ちです。
もともとは、刀剣乱舞のファンで童子切剥落がデビューしたことに刺激を受けての研究だったようです。
こういったマニアは、、、、、、やはり侮れません。

いろいろお聞きすると、私が夏に出した鳥取県立公文書館発行の研究紀要もすでに調査積みとのこと。
私ごときの拙稿をお読みいただいているとは恐縮です。

小学生へのたたら教育の仕方から
果ては自治会での取り組み方法など、質問内容は幅広く多岐にわたります。
私どもの説明をしっかりメモ。
その目つきは鋭くドラマの刑事のようです。
役柄としては、菅田将暉くらいでしょうか。
その、めらめらと燃えるような瞳にたじたじとなりながら、しどろもどろの答弁を繰り返す季節君でした。
ドラマなら、このあたりでかつ丼でも出てくるんだがなあ。

聞けば、この学生さんは昨年のふいご祭りにもおいでであったとのこと。
気が付かず申し訳ございませんでしたー。

果たしてどれくらい役に立ったのか、いささか心もとないのですが、1時間の持ち時間でできるだけの答弁をさせていただきました。
結果として、私のアリバイも証明され、無事釈放と相成りました。

ついでに論文ができたら、見せて頂だいねとお願いしてお別れしました。

めでたしめでたし。



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