都合山発掘調査現地説明会 令和7年 #3
西村家のたたら場から南に50メートルそこには幅2メートル長さ10メートルほどのトレンチがまっすぐ掘られています。
ここはまたさっきのたたら場とは違って、一個の溝が伸びているだけの至ってシンプルなところ。
でも、足元には大小のカナクソが沢山積み上げられています。
炉から流れ出た跡も鮮明な流動滓や炉壁などもあることから、ここが製鉄炉の直近であることはわかります。
しかし、教育委員会の説明では、製鉄炉は確認できなかったとのことです。
指定史跡地域であることから、むやみやたらと掘り返すことはできませんし、土地を再利用するために、整地作業をしていたのかもしれません。

なんだか、ドラキュラを埋めた跡のようですね。
高殿を作った痕跡もなくごく小規模な野たたらだったようで、時代的には中世かな?という予測のもと、年代測定を続けられるようです。
地下構造などが見れなかったので年代による構造の違いが判らないのが残念ですが、かなり昔から鉄づくりが行われてきたようであり、都合山のポテンシャルを感じさせる遺跡です。
たたら場に隣接する山際が削られているので「山を削って平地を作った旧来の方法ですか?」とお尋ねしたら、山際には水路が走っているのでその意味での整地でもあったのでしょうというお返事でした。

その水路を辿っていたら、大先生が案内をしてくださいました。
さらに南に移動すると、斜面から土管が露出していて深い放水路がありました。

土管があるということは近藤家の時代に作られたものでしょうか。
(写真の中央に小さく土管が写っています)
お約束で、その放水路に季節君が落っこちたのは言うまでもありません。
その土管の上に溜池がありました。
都合山で2個目の溜池です。
大きなたたら場では大量の水が必要だったため、2個目の溜池があったのではないかというお話でした。
その東側には、さらに2か所の未調査のたたら遺跡があります。
近藤家の山内集落より北に行けば、またべつの、おそらく近世のものと思われるたたら場と鉄山墓があるということです。
都合山周辺は調査すればキリがないほどの史跡であります。






