明治の古文書調査にまたしても都合山の文字発見
鳥取県日野町では文化財保存活用計画が実施されています。
その一環として、季節君は日野町に残された古文書調査のお手伝いをしています。
今までもいろいろなたたらに関する文書が見つかりました。
きょうはどんなものがでてくるでしょうか。
ただし、今日は私の師匠に当たる県立公文書館の先生がお休みなのです。
私が一人で古文書を見てゆかなくてはなりません。読めない字や分からない習慣などを相談する相手がいません。そろそろ独り立ちせよと言われている気分です。
獅子は子を千尋の谷底に落とすといわれていますが、願わくば、落ちるのは道路の側溝くらいのところでご勘弁を願いたい。
今日の作業は明治10~30年ころの土地台帳のようです。
カルテの表題と古文書本人を照らし合わせながら、名前間違いによる医療ミスのないように、慎重に作業を進めます。
黒坂地区の古文書なのですが、この時期の黒坂地区といえば、人向山とか菅福山とか、都合山とかといった大きなたたら場が操業しています。
都合山は、俵国一博士が調査し、「古来の砂鉄精錬法」の論文を出したり、角田博士が発掘調査した遺跡がそれにあたります。さらに、江戸末期から明治初めにかけて西村家がたたらを操業したらしいことが、我々の古文書調査でもたびたび見かけられています。
西村家の遺跡は現在発掘調査中なので、そういった文書が出たら要注意です。
そんなことをぼんやり考えていたら、あらあら、こんなものが。。。
都合山だけではなく人向山の切り図も何枚かあります。
切絵図ではどこのことかよくわかりません。
ジグソーパズルのように張り合わせてゆけばいいのでしょうか。
見逃したがした部分もあったかも?
頭を抱えていたら、今日の作業時間が終わってしまいました。
面白いことはあっという間に時間が過ぎて行ってしまいます。


