アーカイブ

2025年06月

久住村土地台帳が語る村の製鉄の歴史

久住村土地台帳という明治2年頃の文書を見ています。
久住村というところは、中国山地の真っただ中。
険しい山道を登った先に急に土地が開けています。
田畑に恵まれた広大な平地。
じつはこの村の周辺にはたくさんのたたら場があります。
私が知っているだけでも5か所のたたら場と大鍛冶が1か所
そして、土地台帳に載っている地名がたたらの里であったことを裏付けています。
IMGP0024

鈩村家の下
鈩村というのは二部谷たたら(測量調査済、室町時代のたたら場)の隣にあるようです。
IMGP0025


大沢鈩床というのは黒坂から久住地内に入り、三差路を左に少し行ったところらしい。
まだ未発見のたたら場です。たぶん、、、
調査に向かったことはあるのですが、確認できませんでした。
笹が茂っていて、調査を断念したような記憶があります。
ほかにも、溜池、鉄穴谷、鍛冶屋前などの地名が沢山載っています。

おそらくこのあたりには大きな鉄穴場があり、沢山の砂鉄が採れたので、室町から江戸、明治と数百年にわたってたたらを続けたのでしょうね。
そしてその結果として、流土によって谷が埋まり広い田畑が出来たのでしょう。
この村は繁栄したらしく、絵地図や建物控、土地台帳などの書面が多く残っています。

近藤家の手代さんの手土産「大福節要」

たたらの楽校に予約があり,横浜からお客様がおいでになりました。
鳥取県出身で官僚として活躍されていらっしゃったかたです。
驚いたことにご先祖様が近藤家で働いておられたの事です。そしてお話しから近藤家の名簿を照合すると、江戸時代末期の手代さんであることがわかりました。
えらいことですね。時々こういった人がいらっしゃることがあります。
家にこんな書物が残っていますと、取り出されたのが、当時の江戸や大阪の地図です。今でいうトラベルマップ。
IMGP0018

もちろん当時の大阪や江戸には近藤鉄店があったので、仕事で出張されることがあったのでしょう。
さらには大福節用という分厚い書物がありました。
めっくってみると、百科事典のようなものです。
歴代天皇のお名前、日本の歴史について。動物の図鑑。漢字辞典。占い。家紋辞典、地図などなんでもありです。
奥書を見ると文化文政時代の書物です。
色彩もはっきり残っていて、虫食いもなく、保存状態はいいものでした。
IMGP0020
おそらく、大坂に出張した手代さんが、土産に買って帰ったのでしょう。そして、こんな風に近藤家を通じて奥日野地方に文化が伝承していたのでしょう。
長いことたたら顕彰会をやっていると、いろんな人に出会います。
そしていろんなおもしろいものに出会います。

このページのトップヘ

見出し画像
×