臨時ニュースを申し上げます。
前々から噂されていました、刀剣乱舞に「童子切安綱 剥落」がいよいよ実装されることになりました。

刀剣乱舞ファン、古伯耆ファン、そして安綱の地元伯耆の国から熱望されていたことであります。
刀剣乱舞公式オンラインサイトに発表がありました。
【刀剣乱舞十周年 十個の重大な発表「十重発表」】 | ゲーム最新情報 | 「刀剣乱舞ONLINE(とうらぶ)」公式サイト


刀剣乱舞 サービス開始10周年記念行事 大本丸博2025の1月19日に発表があったようです。
実装は2025年夏ころとなっています。

童子切といえば、第1回国宝に指定され、東京国立博物館に今も保存されている太刀です。
なかごには安綱と銘が斬られ、日本を代表する古刀です。
もともと伯耆は古来から優秀な鋼の産地で、その鋼によって製作された中世の刀は古伯耆と呼ばれ、安綱一門の太刀は国宝、重要文化財、重要刀剣などになっています。

刀鍛冶「大原安綱」については、平家物語や源平盛衰記、太平記,銘尽(室町時代の刀剣書)などに記されその歴史は多くの古文書で見ることができます。
なかでも童子切は室町御伽草子の「酒呑童子」というところにその由来が書かれています。

大原安綱は伯耆の刀鍛冶で会見郡の住人とされていますが、その歴史書は安綱の時代から数百年遅れて書かれた書物であり、その当時、京都から伯耆まではとんでもなく遠いところだったので、果たして本当に会見郡だったのかどうか怪しいと思っています。その後に書かれた書物は、それ(たぶん琵琶法師がかたった平家物語)を完コピしています。
というのは、伯耆に安綱が作刀していたという場所が数か所あり、安綱一門が広く展開していただろうと思われるからです。

日野郡日南町阿毘縁大原山には、山伏が土着して作刀したという伝承の場所があって、昨年、中世のものと思われる製鉄遺跡が出土しました。近くに安綱の墓といわれる場所があって、私も椀型鍛冶滓の小さいものを発見しています。製鉄遺跡はかなり狭いもので貧相な作りだったことから、平安くらいのかなり古いものだろうと私は予想しています。
日南町大原 川平山たたら現地説明会 : たたらの里 奥日野BLOG

場所は変わりますが、日野町上菅には大原神社という小さな祠があり、刀鍛冶が住んでいたという伝承があります。ただし、有名な刀鍛冶のお弟子さんだったという話もあって、安綱本人ではないのかもという臭いがします。


伯耆町八郷には大原神社があって有名な安綱の石碑があります。ただしそれは昭和の終わりごろに作られた石碑です。ここには安綱一門がいたという伝承があります。

米子市日下には刀鍛冶伝説があって、ここが会見郡です。ただしここには真盛屋敷という言い伝えがあります。真盛は安綱の子供で、平家の宝刀「抜丸」などの優秀な刀を多く作っています。

倉吉にも刀鍛冶伝説があって大原神社があります。ただこの神社の命名は新しく、やはり真盛屋敷という旧地名があります。

どちらにしても、安綱の作刀時代は平安中期。
時代が古いのと、都から遠く離れたところだったこともあって、十分な物証がなく謎が多く残ります。
私たち伯耆国たたら顕彰会は地元の伝承から、以下のような紙芝居を作っています。

電子紙芝居『伯耆安綱伝』