南部町のたたら聞き取り調査
奥日野各地のたたらについて聞き取り調査事業を行っています。すでに、日南町、日野町、江府町を終えています。
昨年、伯耆国たたら顕彰会は会長を交代しましたが、新会長が怠け者なので(私の事ね)まだ南部町が終わっていません。
そこで南部町教育委員会にお願いして、南部町のたたらに詳しい方を紹介していただきました。
会場となったのはキナルなんぶです。
この建物は、お洒落な看板ですが文字が小さくてわかりにくい。
しかし中に入ってびっくり。素晴らしい建物です。
図書館があり、喫茶室があり、博物館があり、二階は会議室がいっぱいあります。
ロビーにはくつろげるスペースがあって、子供たちがいっぱいいました。
思わずここで暮らしてみたくなりましたね。
2階の会議室では、3人の南部町民のかたがおいででした。
一人目のかたは、いきなり、鉄滓をならべて熱弁を始められます。
弥生土器と鉄滓が一緒に出土しているので南部町には西暦0年頃に製鉄が行われていたのに間違いないと持論を展開されます。
しかし、その土器が果たしてその時代のものなのか季節君にはわかりません。
「勝手に遺跡を発掘してはいけませんよ」と申し上げたら
「地表に転がっていたものだから持って帰ってきた」とおっしゃいます。
それでは、土器と鉄滓が同じ地層にあったことになりません。
「製鉄は大陸から伝わった技術であり、近くには砂鉄を掘った穴もある」
とおっしゃるので「大陸から伝わった古代の製鉄は、鉄鉱石を原料としたはずです」と申し上げました。
さいしょに弥生時代の製鉄跡があるとお聞きしてびっくりしましたが、なんだか話がかみ合わなくなってきました。
ただし、何らかの製鉄遺跡が埋まっている可能性は排除できないので、位置を記録に残しておく必要性は感じます。
お二人目には、奥山たたらの遺跡についてお話を伺いました。手書きながらしっかりした地図をお持ちになり、遺跡の位置を詳しく教えてくださいます。鎌倉山のふもとあたりになります。
三叉路の突き当りで、現在は杉山になっているあたりに金屋子神社があったようです。
手水鉢や灯篭の笠があったということでした。ちなみに手水鉢はすでに持ち去られたらしく、現在は見つからないということでした。
さらに金山神社の大カナクソ(再結合滓)についてもお話を伺いました。私も見たことがあるのですが5メートルくらいもある大きなものです。
大きすぎて移動させることができず、そのうえに家を建てたというスケールの大きな話も伺いました。
三人目のかたには旧西伯町の大木屋付近のおはなしを聞きました。金屋子の祠が今もあり、中にはきれいに磨いた鉄滓が入っているそうです。さらに亀の焼き物も一対あるそうです。たたらでは水が大事で、水の守り神として亀を祀ったらしいのです。
金屋子で亀を祀ったという話は初めて聞きましたが、素敵な話です。こういう話が聞けるから、各地の伝承を記録しないといけないのだなと思いました。
私の会の調査では南部町に50か所を超えるたたら関連遺跡があるのですが、教育委員会のお話を聞くと、地元ではいまひとつたたらに関心がないのかなと感じました。