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2024年11月

いよいよ境港でのたたら開始です 2

11:50に1回目のノロ出しが行われました。
高温の炉内にはケラと呼ばれる鉄の塊ができ、その周りに粘土や砂鉄に含まれる不純物ケイ素が熱で溶解し溜まります。
その不純物をノロと呼びます。
炉の底に開けられた穴を突き崩すと、真っ赤に溶けた珪素がノロノロと出てきます。
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炉の底にはしっかりと鉄ができているようで、2回目のノロ出しでは、2つある穴のうちの上の方の穴を突き崩して村下(技術長)がノロ出しをしました。上の穴を使ったのを私は初めて見ました。
13時に砂鉄投入終了。15Kgの砂鉄と炭40Kgほどを使っています(炭は全部使ったかどうか未確認)。
これからしばらく炭を燃やし続けて鉄を固まらせることになります。
炭に砂鉄がくっついた状態のものを見せていただきました。こんな状態で炉の中の砂鉄は解けてゆくのでしょう。
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しばらく時間の余裕ができたので、海とくらしの史料館の中の展示を見せていただきました。
1階にはビデオ展示や、たたらについての説明がありました。
2階には砂鉄を採るための鉄穴流しにについての説明。
どれだけたくさんの山を崩して砂鉄を採ったのかという地図の説明がありました。この砂が弓ヶ浜を作ったのですものね。
それから、境鉄山融通会所の資料もありました。
私も初見の資料なんかもあり、興味津々で見ておりました。

中庭に降りて、カニ汁をふるまっていただき、お弁当タイム。
15時に炉を壊して鉄を取り出します。
すごく高温になっているのでこの工程が一番危険でもあり、鉄を冷やすのに時間もかかります。
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一方で私たちは高殿の解体にかかります。
晩秋の日暮れは早いので、のんびりしていると根雨に帰ったころには真っ暗になってしまうのです。
「おおっつ!!」 ヽ(゚∀゚)ノ ♪ と歓声が上がったのを振り返ると鉄の計量に入っています。
古式ゆかしき年代物の秤の上に鎮座する鉧(けら)。
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なんと9,4Kgの重量を誇る鉄塊があります。理論値ではこれが限界のようです。(15Kg中の鉄成分)
鉄塊はけら(鍛える前の不純物も含んだ塊)ですので、鉄滓も内在しているんでしょうが、それにしても見事な大きさができています。今までで最高の出来でした。

片付けも順調にすすみ、16時過ぎには閉会の挨拶。
「江戸時代より長く続いた境港と奥日野のえにしを大事にして、今後もお付き会いください」
と季節君がご挨拶をして終了となりました。
それにしても、見事な鉄の出来栄え、事故もなく、境港の皆さんも暖かく接してくださって、大変楽しいイベントになりました。
その後根雨に帰り、暗くなるまでに片づけを終了して、無事に一日を終えることができて満足な一日でありました。

いよいよ、境港でのたたら開始です1

前回、境鉄融通会所諸事控を読み込んでいるお話を書きました。
そして11月24日は境でのたたらの当日です。
朝、6時15分に根雨を出発。
道路はすいているので予定より早く皆さん海とくらしの史料館に到着しました。
すでに裏門は空いていたので、トラックを乗り入れ荷物を下ろします。
今回は若い人の参加も多くなり、用意は順調。。。
高殿を組み立ててゆきます。
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屋根を組んで、柱を入れて。。。???
柱の数が足りない。
あれ?
降ろした荷物の中を探しても、トラックの荷台を探してもありません。
背中に冷や汗が流れます。
根雨に置いてきてしまったのだろうか。今からとりに帰って往復3時間では間に合わないよね。
スタッフから「柱は一本おきに建てましょう」との提案。
ここで采配するのが季節君の仕事です。
「ぢゃ、そういうことでお願い」
ササっと組み立て、屋根を貼るところで再びスタッフからの提案。
「屋根を張ると柱に重量がかかるので屋根はなしにしませんか。雨も降りそうにないし」
ここで再び季節君の采配
「ぢゃ、そういうことで」
柱とテントの軽量化で素早い組み立てが可能となりました。怪我の功名です。
雨さえ降らなければね。

それでも、荷下ろしをして高殿の骨だけ組み立て、炉の構築。ここまでで1時間10分かかりました。
こうして、どこでもたたらを開始できるのが我々のチームの強いところです。

9:30に海とくらしの資料館館長さんの初種。最初の砂鉄の投入で鉄づくりが開始されました。
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子供たちも砂鉄の投入体験をしに来ます。
砂鉄を熱して不純物を溶かし出し、鉄は炉の中に残すのがたたらです。
保護者の皆さんには説明をさせていただきました。
これから砂鉄の投入が4時間ほど続きます。
(つづく)













境港と日野の鉄展

境港の海とくらしの史料館でたたらについての展示があります。


詳しくはこちら↓
境港と日野の鉄展 | 日本最大級の魚のはく製ミュージアム「海とくらしの史料館」

われわれは、会場で24日にミニたたらを操業することにしています。

砂鉄から不純物のケイ素を溶かし出し、かつ鉄は溶かし出さないようにしながら熱してゆきます。
ぐつぐつ沸いた酸化鉄の塊に対して一酸化炭素ガスを反応させ、酸化還元反応により金属鉄にします。
むかしの人はよくぞこんなことを思いついたなと呆れます。
思いついたのではなく、偶然の賜物なのかもしれませんが。
そして現在の我々が擁するムラゲ(技術長)の腕も大したものです。

ところで、メインテーマである、境港がどんな歴史をたどって現在のような貿易港になったのか。

もう10年も前になりますが、同じように奥日野のたたら製鉄とその鉄の積出港としての境港発展について展示をしたことがあります。
そのときに、面谷さんから境鉄融通会所諸事控の翻刻されたものをいただきました。
それ以来、季節君は古文書の勉強をしてきました。
そして、今回の境港での展示をきっかけとして、宿題の境港鉄融通会所諸事控をもう一度読んで勉強することにしました。
しかし、この書物、難敵です。

何せ漢字が多い!!(あたりまえですが)
おまけにボリュームも相当なもの。これを翻刻するのも相当なパワーが必要だったことでしょう。
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読んでゆくと、今まで知らんかったなまなましい記述もあります。
米子での鉄問屋取引は不行き届きだと上阿毘縁村の彦兵衛が陳情していますが、その具体的な内容も書かれています。
鉄を問屋に預け、その代わりに為替銀をもらい鉄山師は資金繰りをしていました。
しかし、米子の鉄問屋は為替銀の支払いを拒否し始めます。
そのほかにも鉄山師からの苦情と要望は続きます。
一米子の鉄問屋は自分の取引用に鉄を買って、鉄山師の鉄より優先的に自分の鉄を売ったり、それにまがい物を混ぜて売ったりしている。
一米子の鉄問屋は、我々から預かった鉄をほかの問屋に質入れし、その金を使って自分の資金繰りにしている。
一米子の鉄問屋は預かった鉄が売れたのに、売れていないふりをして、利息を取り続ける。
一為替銀はすぐもらえるようにしてほしい。急場でも5日10日と日延べされて鉄山師は苦しい。
一米子に預けた鉄を境に変更する場合は、米子で蔵敷代を取らないでほしい。蔵敷代が米子、境両方で取られてはかなわない。
すったもんだの議論の末、ようやく境港に鉄山融通会所の設立が認められ、境港からの鉄の積み出しが始まります。

米子港より境港のほうが外洋に近く圧倒的に船便が立ち寄りやすいです。
徐々に境港が貿易の主力になってゆくのでした。
全体の流れは杉原氏が作られた電子紙芝居でよくわかるようになっています。
電子紙芝居『伯耆国の流通革命』 - YouTube

どうぞ皆さんこぞって会場においでください。



たたらの里学習館に行きました 2

建物は白い平屋です。
12~3月は閉館ですが、それ以外は年中開館しているようです。
各地のたたら資料館は自治体が運営しているため、開館維持が可能ですが、日野町においてはボランティアが運営しているためこのところ開館できていません。
予約していただければ、なんとか開けることができますがお客様には不便をおかけしています。
なんとかできないかなというのが当面の悩みです。

たたらの里学習館は、広いワンフロアの展示施設でありました。
入り口正面にはジオラマがあり、解説ビデオが流れています。
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その横にはリアルに日本刀の展示があります。
ここの鋼(千草鋼)は岡山の備前長船で使われていたようです。
日本一の刀剣の産地ですよね。
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高殿模型はうちにある高殿模型に近い型ですね。
丸打ちの高殿でした。
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ジオラマの展示では角打ちだったので、本当はどうだったのかなと思います。
田辺家は角打ち。絲原家は丸打ち。近藤家も丸打ち。
鉄山秘書には丸打ちも角打ちも載っていたように思います。
そのあたりを見ると流派の違いが判るかもしれません。

刀剣の制作過程の模型や高殿内で使っていた道具の展示もあります。
しっかりと展示物があり、見ごたえのある展示館でありました。

道路を隔てた向かいにあるてんごやたたら跡はしっかりと整備されています。
これだけ綺麗に草刈りをして維持するのは大変でしょう。
道路沿いに長屋があったり高殿があったりして、伯耆のたたらと配置の違いが見て取れます。
たたら場の大きさや石垣の量は、日野町舟場ヒヤ谷たたらと同じくらいです。
配置に違いはあるものの、私にとってはよく見るたたらばの風景でした。
今日は良い天気にも恵まれ、ほかの施設の展示を見るというのは勉強になりました。


伯耆国たたら顕彰会のメンバーの多くが兵庫県宍粟市に見学に行っています。
そこには『たたらの里学習館』があります。
たたら顕彰会の役員仲間が「たたらの里学習館には是非行って見るべきだ。展示の仕方が上手だし、面白い模型もある」と言ってくれました。
それに、当会主催のたたらフォーラムではたびたび宍粟市の皆さんにおいでいただいています。
ちょっと遠いなと今まで二の足を踏んでいたのですが、この言葉に背中を押されて行って見ることにしました。
朝から良い天気で小旅行を楽しめそうです。
日本海側を山陰道から鳥取自動車道に乗り継ぐという手もあるがな、と思いながらルートを探します。しかしどのナビゲーションを見ても米子道から中国縦貫を通れと主張しています。
中国道はちょっと高いんだよね、などと思いながらもカーナビに言い返す勇気もなく、江府インターから落合JCを通って兵庫県に抜けることにしました。
鳥取自動車道大原インターを降りて一般道へ。

日野郡に負けないくらいの山の中です。
たたらをするには豊富な森林が必要なため、たたらの里はどこも中国山地の山の中です。

すっげー山道。峠道。
対向車とすれ違えないし。
なんとかせいーと思っていると間もなく千種の町に出ました。

ここまで片道3時間。(途中ラーメン休憩 1杯)
高速料金3000円ほど。

道路標識に『千種』と出ているとうれしいですね。
日本三大鋼といわれる『千種』兵庫県。『出羽』島根県。『印賀』鳥取県
あの千草鋼の里です。
ついに来たどー
思わず道路標識を写真に撮ったりして。

ちょっと山道を迷いながらたどり着いたのは『たたらの里学習館』でした。
なんか薄暗くて、休館なのか?せっかくここまで来たのに?という感じでした。
しかし、玄関にはキッパリがっつり『会館中』の標識。
周りは、いかにも鈩をやっていそうな気配が漂っていました。
つづく

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