江戸時代の黒坂村絵図
先日見つけた黒坂村の町割図を繋いでみました。すると、いろいろと見えてくるものがあります。
福田屋敷の維持管理のため町の人たちが持ち回りで役目を負っていたようです。
この家は札二枚、この家は札五枚と書かれています。
大きな家程負担が大きいので役目の量に間違いなさそうです。
そしてこの当時の黒坂村は住宅地ではなく商業地になっていたみたいです。
下段右から5番目
割鉄屋というのはおそらく鉄の小売でしょう。
たたらで出来た鉄を砕いて小割鉄にします。
それを小売りするのが割鉄屋だと思います。
鉄を売るところがあるからには、その鉄を加工するところもあるはずです。
ここには映っていませんが鈑冶屋というところがあります。
かじ屋と読みます。
小割鉄を使って、鍬、鎌、鉈、包丁などの生活用品を作っていたのでしょう。
小割鉄から製品を作るには、小割鉄に内包されている不純物を叩き出し、鉄の質を均一にし、場合によっては炭素量の調節迄することになります。
いわゆる鉄を鍛えるというやつでしょうか。
当時の鍛冶屋さんはそこまで出来たと話には聞いています。
ほかにも油屋とか石屋とか書かれています。
梅屋とか平野屋とか屋号だけ書かれていて、どんな商売をしていたのかわからないお店の名も多く書かれています。
昔の黒坂を御存じの方がご覧になればもっといろいろな事がわかるのでしょうね。
黒坂村はとても活気があったのではないでしょうか。