季節君が只今勉強中の古文書です。
日野郡黒坂村福田丹波支配筋一件諸事控書抜

鑪の盛んだった奥日野ですが、黒坂周辺は鳥取藩福田氏の領地でした。
そこでは、鳥取藩の治世と福田家の支配が重なり、お互いが話し合いながら治めていたことが知られています。

で、その様子がこの文書でわかるのです。

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「黒坂問屋勘五郎と馬方ども懸かり合い一件、こたび緒方長蔵より別紙の通り願書とも一通り
にては取り上げ難く、もちろん願いにより御宥恕のご裁許御座候様、御談し申すにはこれ無くそうらえども、こたびの取り扱いに限らず、以後心を付け候様申し出で候趣もこれ有るに付き、御慈悲の御裁許御座候はば黒坂……」



鉄問屋が馬方と揉めています。
運賃に関する諍いでしょうか。

訴えが出されたからには無視することもできず、庄屋⇒大目代(福田家)⇒大庄屋⇒郡奉行(鳥取藩)と審議されるシステムです。
そして、審議中に緒方家からどうか寛大な処置をと嘆願書が出ます。
緒方家は大きな力を持っているのでこれも無視できず、慈悲の裁量をしましょうと相談しています。

ちなみに鉄生産者(鉄山師)が緒方家。鉄の流通を仕切っていたのが鉄問屋の勘五郎。運搬を担当していたのが馬方。
馬方も一方的に鉄問屋の言いなりにはなっていなかったようです。

そして運賃を巡る争いから、ストライキとか独占禁止法とか、あるいはカルテルのような裁判に発展したのでしょう。
昔も今とよく似た社会問題はあったようですね。