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2021年06月

金屋子神由来記を読む。

下原重仲といえば鉄山必要記事が有名です。

そして、日野町の旧家から、下原重仲直筆の鉄山要口訳という日本最古の製鉄技術解説書が見つかったことも、以前書きました。

その家から、川上森重という人の「金屋子神由来記」という古文書も見つかっています。

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古代製鉄の伝承を伝えるお話は、大きく2つが知られています。

ひとつは、高句麗から千種へ、そして奥出雲に鉄づくりを伝承したとするおはなし。これは島根県西比田の金屋子神社にも伝わるものです。

 

そしてもうひとつは、八岐大蛇族が中国山地で鉄づくりをしていたとする説。これを出雲の豪族である素戔嗚が攻め、鉄づくりを伝承したと考えます。つまり八岐大蛇伝説です。

この説は山田新一朗先生、相良英輔先生が論文を書いておられます。

 

鉄づくりは一か所から伝わったと限定する必要もないので、複数のルートがあってもいいのでしょう。

 

日野町で見つかった金屋子神由来記は、後者の説にあたると思われます。

黒坂の川上森重という人物が明治十六年に書き残しています。

当て字が多く、天照やいろいろな神様の名が出てくるので読みにくいったらありゃしません。

あちこちを調べていたら、影山猛先生がこの金屋子神由来記を活字にしておられるのを見つけました。

これでわかりにくいながらも、何とか理解を深めることのできた季節君です。

実力不足なのは承知で、現代語訳を試みました。

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「そもそも、この世が始まった頃、国常立命から伊邪那岐、伊邪那美命まで7代。そして天照大神からウカヤフキアワセノミコトまで地の神5代のころのことです。

神武天皇が帝として初めてのめでたき代となりました。

神代の昔には、人間はまだ生まれていません。

クニタチトコノミコトより4代目、ウイチニノミコトの代にイズモヒチニノミコトから男神、女神と現れましたが、6代目のオモダルノミコトまでは結婚はしていません。

7代目のイザナギ、イザナミノミコトは淡路の国へ天から降りてこられて、ミトノマクハより混ざり合い4人の御子をお産みになりました。

日の神、月の神、ヒルコ、素戔嗚尊です。

日の神は天照大神、月の神は月読命多賀峰明神、ヒルコは恵比寿三郎西宮大明神、素戔嗚尊は出雲国大明神です。

それよりのち、人間が生まれてきました。けれども、気魂がまちまちだったので仮身や三宝をわきまえていませんでした。寒さや病気をしのぐすべも知りません。食べ物は自然にあるものを食べるのみで、蓄えも持たない。水中に遊ぶ魚のようなものでした。

このとき、金山姫宮という人が大日如来の化身として人々の救済のためにこの世に顕れましたが、世の中は乱れていました。人々はまだ未熟なので時期尚早なのだろうと、須弥山にこもりむなしい月日を過ごされました。

さて、伊邪那岐、伊邪那美命はなんとかしてお屋敷を作りたく思われたけれど、釘がなくては思うようになりません。いろいろ工夫して神通力をもって世の中を見渡したら、須弥山の傍らに大楚山、小楚山という山があります。そのうえに四千里四方の岩がありました。その岩の上に三十三の姫宮九十九社がいらっしゃいます。

三の王とはこのことです。伊邪那岐、伊邪那美命がお会いして、御殿づくりを相談すると、姫宮がおっしゃるには鉄と言うものなしでは釘鉄の用意ができない。私は諸々のかねをつかさどっています。作り出してあげよう、と唐天竺の気根山に行かれました。この山を穿鑿なさったら金銀銅鉄など、諸々のかねの種がありました。

これを取り出して段取りしようと、せいたい山というところで、諸々のかねを吹きだして釘鉄物の用意をして、御神にお渡しになりました。

伊邪那岐、伊邪那美命がお取りになり、左の手に槌を持ちまず一番の釘を、よきかなよきかなと打ち給い、二番目の釘をかへりふ満足とお打ちになる。三番目の釘を諸願成就と打ち納め、宮造りを成就されたので、人々も思い思いに家を作って雨露をしのぐようになしました。桁上げのはじめ、家造りのはじめはこれです。

金山姫の宮、伊邪那美、伊邪那岐命は四人の子供たちに譲りものをされました。

まず国を天照大神に譲られました。

山を月読命に譲られました。

海を恵比寿三郎殿に譲られました。

そして二振りの剣を須佐王命に譲られました。」

ここまでで3ページ。あと4ページ続きます。

(;^_^A

なんとなく雰囲気だけでも感じていただけたと思います。

 

 

 

いまでも奥日野のどこからどんなものが出てくるかわからないし、その価値にいつ人々が気付くのかもわかりません。
あるいは気付かれずにひっそりと失われてしまう可能性もあります。
これからも目が離せないなと思いながら、秘かに古文書の勉強を続ける季節君でした。

最近、文化財に対する考え方が変わってきているように感じます。

世界遺産の制度は、文化財の保存だけでなく、その利活用を視野に入れています。

日本遺産しかりです。

そして、このたび文化庁の考え方も示され、文化保存活用地域計画が発表されました。

 

文化財の保存と利活用を、それぞれの地域の実情に合った形でやってゆこうねということでしょう。

日野町でもこの法令の適用を受けるべく、審議が始まっています。

日野町文化財保存活用地域計画検討委員会が組織され、3回の会合が持たれました。

 

この計画の中にある歴史認識が正しいのか、日野町文化財保存審査会に諮問することになりました。

じつはその諮問委員会こそ季節君(私のことね)が勉強させていただいている現場です。

 

先日この諮問委員会が開かれ、鳥取県教育委員会からもアドバイザーをお招きして、3時間にわたり喧々諤々の議論が戦わされました。

日野町の歴史文化の特徴はどこになるのか。

キーワードがいくつか提案されます。

たたら

出雲街道

黒坂城址

金持党

地域性としては、広い意味としての根雨。黒坂。上菅。

いい加減なことはかけないので、しっかりした裏付けや文化資産の把握が必要だと、そのためには踏査と知識のしっかりした裏付けが必要だと、改めて思った次第であります。

 

 

委員の先輩から、私の知らない話もたくさん聞かせていただいて、大変勉強になりました。

若い委員さんや学芸員さんの参加もあり、日野町の未来に希望を持ちました。
もう少し勉強して、自分の知識のレベルアップを図ろうと思います。

 

日南町道の駅でたたら展示があります。

日南町日野川の郷(道の駅)でたたらの展示があるというお話を伺いました。
伯耆国たたら顕彰会の会長から視察に行くようにとのご指示であります。

(`・ω・´)ゞ

早速季節君もお邪魔することにいたしました。
日南町は、まちづくり協議会という組織があり、今回は大宮町づくり協議会の展示です。
今は自動車専用道路もできていて、会場までは快適なドライブです。

道の駅の玄関にはこのような掲示がありました。
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早速カメラを持って入らせていただきます。
今回の展示は撮影を快くOKしていただきました。

一番目を引く展示物は、このジオラマ。
日南町でも有名な人形作家さんの作品です。

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大宮の吉鑪というところのジオラマ。
写真は残っているのですが、実際の建物は数件しか残っていません。
ここは、江戸時代には青砥家が操業した印賀鋼の産地です。
そして明治、大正期には近藤家が低燐鉄を生産した拠点です。

やはり立体で見ると臨場感があっていいですね。

さらに奥には、ガイドのビデオが流されていて、鋼の展示もありました。
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お兄さんが丁寧に解説もしてくださって、わかりやすい展示だなと思いました。
スペースに限りがあるため、展示資料の数にも限りがありますが、大宮たたらの楽校とセットで見学されたらいいと思います。
たたら顕彰会が出版した遺跡調査報告書などの出版物の販売もしておられるようです。

この展示は6月20日くらいまでの期間限定のようです。
ご覧になりたい方はお急ぎください。


ちょっと古い話題になりますが、近藤家9代目さんと鳥取県が、根雨小学校に残る資料確認に行かれたという記事をみつけました。

近藤家7代目寿一郎氏が根雨小学校に寄付された、理科標本の確認に行かれたようです。

おりしも、寄付がなされて99年目のことなんだそうです。

 

近藤さんと訪ねる根雨小学校  /とりネット/鳥取県公式サイト (tottori.lg.jp)

 

季節君も根雨小学校出身なのでこの標本の事は知っています。

根雨駅前に木造校舎があった頃のお話です。

低学年の頃は一階の教室を使うのですが、高学年になると2階の教室になります。

当然2階には階段で上がります。

その階段の途中に標本が置いてあるのです。

それは、ライオンだったり、猩々(オランウータン)だったり、鷹だったりします。

目にはガラス玉がはめ込んであるのですが、恐ろしかった記憶があります。

夏の夜には子供会で肝試しをしました。

夜の校舎では、なによりこの標本が恐ろしかったんです。

今でも忘れてはいません。

 

その時には、どこの学校にも理科標本はあるのだろうと思っていました。

後になって知ったのですが、近藤家さんが動物園などない山の学校の子供にも動物を見せてやりたい、と思われたと聞かされました。

ほかにも学校を寄付したり、公会堂を寄付したり、今では考えられないようなことをしておられます。

私も、近藤家のたたらの業績を顕彰することによって、はじめてそういったことを知り驚かされています。

ちなみに、水生生物や材木の標本は子供には興味がなく、私もまったく記憶しておりません。

そういえば、トラの標本ってありませんでしたっけ?

幼いころの記憶は確かではありません。

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