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2021年03月

才の原たたらのスケッチ

先日アップした、才の原たたら場の発掘調査。
見学に来れない人のために、写真を多く掲載したのですが、位置関係がわかりづらいです。
それもそのはず、旧、新、中の3つのたたら場が、折り重なるように埋まっているのです。
たたらに最適な場所というのは、何度も繰り返し操業するために、遺跡が重なっているというのはよくある事なのです。
そこで、私なりに、写真と記憶をたどりながら、スケッチを起こしてみました。
これで少しは位置関係がわかっていただけると思います。
ただし、正確なものではありません。
この後、日野町教育委員会から正式な発表はあると思いますが、年代測定も終わっていないので、しばらく先のことになると思われます。
このスケッチは、位置関係を知るための参考程度にお考え下さい。

sainoharasuketti2


才之原たたら遺跡調査

道路工事により、日野町黒坂の才之原たたら遺跡が調査対象になりました。
そこで、現在発掘途中の遺跡を、ご無理を言って見学させていただくことになりました。
3つの地下構造が見つかったため、トレンチ(調査用の堀)は、30メートルほどあります。
IMGP0001
左側は国道であり、以前に道路を付けるために掘削されて、本床(本体部分)がなくなっています。


いつも発掘中の遺跡を見るのは、わくわくしますが、今回は残念ながらいいところがなくなっています。
映画の録画を見ようとしたら、前半部分が録画できていなくて、がっかりした。
そんなかんじであります。

根雨に近い方から、床吊り(防湿のための地下構造)の痕跡を見てみましょう。
IMGP0003


右側の石積みは一番古い小舟(通気用の煙突が横に走っている感じ)の炉壁です。
そして、中央が小舟部分(中は土で埋められています)。

この小舟部分は16世紀以前、時代で言うと中世を想定しています(室町ころってことね)。
炭を使った年代測定をするそうですが、室町より以前だったらもっとすごいですね。

そしてその小舟は左の石垣の下に潜り込んでいます。

つまり、左の石垣は古いたたらの上に作られていることになります。
左のたたらが、3個の中で一番新しいものです。
17世紀を想定しておられます(江戸のはじめ頃)。


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先程のV字の石積みが右端に少し見えています。
そして、あらたな粘土の壁が足元に広がります。
写真中央から右の足元に向かって伸びるのが新しい小舟の壁です。
粘土を焼きしめて石のようにして作っています。
写真左端にある石のような四角いものは、壊れた小舟の側面です。
やはり焼しめた粘土で出来ています。
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そして、大舟の焚口へと続きます。
ここで数年に一度火を焚いて、本床(炉があるところね)の湿気を飛ばしたのでしょう。

IMGP0011
焚口に続いて土井が見えます。写真で言うと下の方に三角に突き出しています。
これと、それに連なる石組が3個目(中間期)の床吊りの端っこに当たるそうです。
右端に見える大きな丸い石は、道路工事で入れた石なので、無視してください。

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壁面には何層にも粘土を入れて、地面を固めています。
この付近から、キセルの頭が出たそうです。年代は江戸時代初期のものです。

こうして切れ切れに写真を見て行くと、何がなんだかさっぱりわかりません。
3個のたたらが折り重なっており、しかも、半分は切り取られてしまっているのですから、さっぱりです。

見学したときにはわかっていたつもりだったのですが……

全体図を書いてみないとわからないですかね。

どちらにせよ、ここは江戸時代以前の遺跡には間違いないようなので、日野郡で発掘されたものでは古い方になります。
もっと古い遺跡を調べて、どこまで歴史を遡れるか、知りたいもんです。



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