鬼滅の刃と鬼切丸
山陰中央新報社の記者さんから電話がありました。「このところ社会現象になっている『鬼滅の刃』について調べていたところ、鬼切丸という刀が実際にあるらしいと知りました。
ついては、季節君が詳しそうなのでそのあたりをとくと話して聞かせてください。」というご依頼です。
鬼切丸といえば、伯耆が生んだ天才刀鍛冶(大原安綱)のお話ではありませんか。
ということで、わざわざ鳥取から車を飛ばしてきていただき 🚙= (車は飛ばないけれど、そのあたりは比喩です。) お話しをさせていただきました。
大原安綱が造った『鬼切丸』のおはなし。そしてもう一本鬼を征伐したと伝わる『童子切』のお話しです。
鬼切丸は北野天満宮に安置されている重要文化財。童子切は東京国立博物館に保存されている国宝ですよね。
鬼切丸は渡辺綱が、一条戻り橋で鬼のお腕を斬ったという太平記に記載された伝説。
童子切は源頼光が、大江山の鬼を斬ったという室町御伽草子の話。
鬼の腕を切った鬼切より、鬼の親分を征伐した『童子切』のほうが、鬼滅の刃のお話に近いと思います。
童子切と鬼切。どちらも、印賀鋼を厳選して作った黒い太刀。腰ぞりの強い見るからに実践的で後光の射すスーパー刀剣です。
季節君はどちらの刀も、春日大社の国宝展で10月前に見てきたので、自信をもって言っちゃいます!
ましてや童子切は、試し切りをしたら6人の遺体を重ね斬りできたという『六つ胴切』の異名を持つ日本一の切れ味を持つ刀であります。人を喰らった鬼も切り裂いたでありましょう。
記者さんに、太平記や平家物語(剣の巻にも鬼切のことが書いてある)に残る童子切、鬼切の話をしていたら、じゃあ、岩をも切ったでしょうか。
というご質問。
「そうそう、鋼を作った たたら場の遺跡調査で、斬られた岩を見たことがあるよ」
と季節君は思わず大法螺を吹いてしまいました。
「ぢゃあ見せていただきましょう」
とおっしゃる記者さんと、一路上菅の人向山遺跡へと向かいました。
ちょっと言い過ぎたかと後悔。
夕闇迫る日野路を急いで山に入ります。途中、イノシシが死んでいてぎょっとしてしまいました。
そして見つけたのが、人向山たたら場のそばにあったこの岩。苔むして地中に半分埋まっていますが、それでも高さは2m近くある大岩です。
鬼滅の刃は大正時代のお話なので、100年たったらこれくらいの風情にはなるでしょう(笑)。
「次に来るまでに、この岩を掘り出しておくからね」とできもしない約束をして暮れ行く山道を下ってゆきました。
ついでに、上菅の大原安綱を祀ってあるという「大原神社」と「花御膳」の祠を拝んで帰ってきました。