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2020年10月

鬼滅の刃と鬼切丸

山陰中央新報社の記者さんから電話がありました。
「このところ社会現象になっている鬼滅の刃について調べていたところ、鬼切丸という刀が実際にあるらしいと知りました。
ついては、季節君が詳しそうなのでそのあたりをとくと話して聞かせてください。」というご依頼です。

鬼切丸といえば、伯耆が生んだ天才刀鍛冶(大原安綱)のお話ではありませんか。

ということで、わざわざ鳥取から車を飛ばしてきていただき 🚙= (車は飛ばないけれど、そのあたりは比喩です。) お話しをさせていただきました。
大原安綱が造った『鬼切丸』のおはなし。そしてもう一本鬼を征伐したと伝わる『童子切』のお話しです。
鬼切丸は北野天満宮に安置されている重要文化財。童子切は東京国立博物館に保存されている国宝ですよね。
鬼切丸は渡辺綱が、一条戻り橋で鬼のお腕を斬ったという太平記に記載された伝説。
童子切は源頼光が、大江山の鬼を斬ったという室町御伽草子の話。
鬼の腕を切った鬼切より、鬼の親分を征伐した『童子切』のほうが、鬼滅の刃のお話に近いと思います。
童子切と鬼切。どちらも、印賀鋼を厳選して作った黒い太刀。腰ぞりの強い見るからに実践的で後光の射すスーパー刀剣です。
季節君はどちらの刀も、春日大社の国宝展で10月前に見てきたので、自信をもって言っちゃいます!
ましてや童子切は、試し切りをしたら6人の遺体を重ね斬りできたという『六つ胴切』の異名を持つ日本一の切れ味を持つ刀であります。人を喰らった鬼も切り裂いたでありましょう。

記者さんに、太平記や平家物語(剣の巻にも鬼切のことが書いてある)に残る童子切、鬼切の話をしていたら、じゃあ、岩をも切ったでしょうか。
というご質問。
「そうそう、鋼を作った たたら場の遺跡調査で、斬られた岩を見たことがあるよ」
と季節君は思わず大法螺を吹いてしまいました。
「ぢゃあ見せていただきましょう」
とおっしゃる記者さんと、一路上菅の人向山遺跡へと向かいました。
ちょっと言い過ぎたかと後悔。

夕闇迫る日野路を急いで山に入ります。途中、イノシシが死んでいてぎょっとしてしまいました。
そして見つけたのが、人向山たたら場のそばにあったこの岩。苔むして地中に半分埋まっていますが、それでも高さは2m近くある大岩です。
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鬼滅の刃は大正時代のお話なので、100年たったらこれくらいの風情にはなるでしょう(笑)。
「次に来るまでに、この岩を掘り出しておくからね」とできもしない約束をして暮れ行く山道を下ってゆきました。
ついでに、上菅の大原安綱を祀ってあるという「大原神社」と「花御膳」の祠を拝んで帰ってきました。

令和のふいご祭りのお知らせ

今年もこの時期がやってまいりました。
第7回目を迎えた、令和のふいご祭りです。
期日は11月1日 9:00~14:30
場所は日野町役場駐車場
車でお越しの際は、日野振興センター(役場から100メートル米子より)に御駐車ください。
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たたら操業コーナー
実際に砂鉄から鉄を作ります。
8:50に炉に火入れを行います。
砂鉄投入体験を受け付けます。先着順ですが、無料です。
11:00~13:00 ノロだし(砂鉄の不純物が解けて出てきます)←見ものです。
この間に、ガイドがたたらの仕組みを解説します。
酸化還元を使った、昔の職人の技術など興味深いです。
14:00けらだし(炉を壊して鉄塊をとりだす)

有料で鍛冶体験もあります。ペーパーナイフを作ります。

10:30~12:30 講演会
『鉄山師近藤家と都合山たたら』ブックレット出版を記念して著者が語ります。
池本氏、角田氏、加地氏

電子紙芝居上映~安綱。たたら場のお引越しなど4本

展示コーナー 都合山のバーチャル画像が見れます。

ソーシャルディスタンスを守って、皆さんマスクを持ってきてください。
バックトゥーザ日野町にお越しの方もどんどんおいでください。
ひょっとすると良いことが教えてもらえると思います。


バックトゥーザヒノチョウ

いよいよ、バック・トゥ・ザ・ヒノチョウが始まりました。

日野町の広報ページはこちら

昨日から、根雨の町中には家族連れのお客様が多くおいでになっています。
今日も、見通しの良い町中の目抜き通りには、多くの人影が見えます。

どういった状況なのか、根雨駅に偵察に行ってみました。
駅のパンフレット置き場には、問題用紙が置かれています。

駅の入り口にヒントが張り出してありました。
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はて、『根雨 i  』を背にして白い橋げたを渡り
周りのご家族と一緒に頭をひねります
根雨 i とは?
じっくりと考えてみると、どこかで見たような????

そうだ!
季節君の頭には、突然雷が落ちたように感じるものがありました。
つま先までびりびりと響きましたね。

これのことでしょう!
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ここまではやってきましたが、その先は。
『白い橋げたを渡り』
ぐるりと見まわしますが、橋はどこにもありません。
一番近い橋といえば、舟場橋でしょうか。
でも『 i を真後ろにしたとき』と書いてあります。
根雨 i の石板を後ろにすると、目の前にあったものは
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白のストライプ

mmmmmm  才才-!!w(゚o゚*)w

おっそるおそるストライプを渡るとその先にあったものは!
な、な、なんと
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こんな感じで、次々とヒントをたどってゆくのでしょう。
地元民であっても簡単な問題ではありません。

結構な距離を歩きそうな予感がしてきました。
季節君は途中で挫折してしまいましたが、秋のハイキングがてらにぶらぶら歩くとよい運動になるでしょう。

おいでになる皆さんは、1日がかりになることを覚悟しておいでください。
賞品総額550万円は伊達ではありません。



日南町美術館刀剣展

今、日南町美術館では刀剣展示が行われています。安綱が二振り、日南町美術館所蔵の刀剣が数振り、ほかにたたら関連の物や、刀剣制作の道具などが展示されています。

そして、記念講演会が開かれるというので、季節君も出かけてみました。
秋晴れの透き通った空気の中を、日南町までドライブ。
自動車専用道も好いていて、快適な気分で家入レオを聞いていました♪。←これ最近のお気に入り。

会場の日南文化センタではコロナ禍のため参加人数も制限があり、どうなることかと思っていたのですが、会場は満員になっていました。季節君は目が悪いので、一番前でノートをとりながら聞いています。講師の岡村吉彦先生はまじめな方で、ジョークも飛ばさず、こじゃれたエピソードもなくひたすら早口で話し続けられます。
鳥取県史編纂室長をしておられた先生のレジュメは、びっしり6枚。
レヂュメを補完するため、季節君はメモを取りますが、先生が早口なのでノートをとるのが間に合いませんでした
note


面白いと思ったのは、大工という言葉。
技術者の職長を大工というのですが、その配下の者は逆に「小工」と呼ばれたそうであります。現代では小工という言葉は残っていませんよね。

それから、伯耆の有力武士の多くが鉄とかかわっていたということ。
鹿野城主の亀井茲矩は大阪に行ったとき「この地鋼は銀一匁につき一貫目で売る」と書いて、伯耆から鉄を送らせたということです。
当時は鉄が貴重な産物だったのでしょう。

金持氏について、『金持の地名は鉄鍛冶に由来する』と説明しておられますが、現地を見て歩くと、鍛冶跡より鉄穴流しとかたたら跡が多い。(近世の遺跡ばかり見ているので断定はできませんが)季節君としては金持の地名は「たたらによる鉄生産」に由来すると考えたいです。まあ鉄生産があって鍛冶も存在するので同じようなものではあります。ただ地元としてはたたらの里として売っているものですから。
愚管抄に金持氏は伯耆国守護武士と書かれているというのが、痛快で気に入りました。お殿さまです。偉かったんですね。

新しい知識も得ることができました。講師の先生、ありがとうございました。

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