昭和十三年大阪特殊鋼株式会社は黒坂下町に工場を作り、角炉二基、電気炉一基をもって創業したと日野町誌に書かれています。
その後十八年に黒坂上町に移転。昭和二十四年には黒坂製鋼株式会社に組織改編して木炭銑鉄を生産し続けたそうです。
その黒坂上町の工場跡地に行ってみました。
野原には草が茂っていましたが、歩いてみると、カナクソを踏む音がし、地表のあちこちにカナクソが顔をのぞかせています。
広場の隅にはカナクソが積み上げられていました。
流れた跡が生々しい黒い流動滓。10センチから20センチくらいの破片です。ぶつぶつと表面の荒れたよく見る形のカナクソもあります。
そして茶色に変色した表面のざらざらしたものは、鍛冶滓のように見えます。
推定100Kgほど積み上げられているでしょうか。山で見るカナクソと違うのは、コンクリートの破片を巻き込んでいること。やはり昭和に行われた角炉による木炭銑鉄生産の証拠になるのでしょうね。

古老にお話を伺うと、コンクリートの台座が近くにあり、倒れた大きな煙突もしばらく横たわったままになっていたそうです。
そして、家に伝わる鋼塊もあったそうですが、やり場に困り安価で売却してしまわれたそうです。(これは近藤家の鋼だそうです)
おしいなっとおもいました。

こうして大事な地元の物証が少しづつ散逸してしまっているような気がします。きちんとした情報を集積して、残すべきものは残さないといけません
今、近藤家に伝わる印賀鋼の成分分析が九州テクノリサーチの手で進められています。