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2017年10月

大原安綱については、統一された見解がなく、地元びいきも絡まってわかりづらくなっています。

そこでもう一度季節君も勉強してみることにしました。
もちろん、太平記や平治物語、源平盛衰記、平家物語などを調べるつもりです。

((+_+)) しんどいかも

さらに、これらの文書もそれぞれに見解が違っていて難しい。


とりあえず今日は伯耆誌を見てみました。
江戸時代に編纂されたものですが、日下の大原鍛冶については記載があります。
旧岸本の大原、日野町の大原、日南町花口の大原は地名の記載のみでした。

日野郡誌も江戸の編纂です。
口伝として大原鍛冶のことが書かれています。

伯耆民諺記(伯耆民談記)については、倉吉の藩士が「会見郡には大原村は存在しないから、大原安綱は倉吉に違いない」と書いています。
確かに、江戸時代の会見郡には大原の地名はないのですが、平安時代には日下が大原の地であったとする話、八郷の大原村も会見郡であったとする話があります。(地名辞典など)

実は、大原一門には20人を超える刀鍛冶が存在し、伯耆各地で活躍していただろうと考えられます。安綱名や真守名も複数いたようです。さらに、この集団は技術に優れ、どの鍛冶の刀もきちんと技術が伝承されていたようです。そのため、どの人の刀にも大原鍛冶の特徴がよく表れているt解説書にはあります。

阿毘縁の大原には山伏塚や屋敷跡があるというし、日野町には大原神社や奥さんの塚、製鉄跡も同時にあるようなので見学に行こうと思います。
岸本の大原は大原神社や伝承、見取り図がありますね。
倉吉の大原にも現地を見に行こうと思っています。案外ここが都会だったので、大原鍛冶最終の地だったのかもしれません。
皆がウインウインになるように願います。

第四回、平成のふいご祭り

10月22日。

平成のふいご祭りを行いました。

なんと、衆議院選挙がある、台風が来るという大変な事態の中の暴挙です。



それでも、鉄筋の高殿を建設し、ミニたたら製鉄体験をし、講演会までやってしまいました。

激しく雨の降る中、三面がビルディングに囲まれ、残りの一面は壁山があるという万全の地形の中で行いました。

講演は「下原重仲の鉄山秘書」
「宮市原開田」
「影山猛先生の功績」
の豪華三本立てです。

日野軍秋の陣出陣式
syutujinn

たたらの火入れの後、ノルディックウオークの皆さんは川平山鉄山跡に向かって出発されました。
ノルディックウオークも台風の中でもやるのですね。
norudhikku

そして、たたら場のお引越しの紙芝居。
下原重仲の鉄山秘書の講演へとなだれ込みます。
季節君は、おバカなことに革靴を履いてきたので、靴下がぐしょぐしょでした。 

(。ノ_・。)ウッ・・

お昼を挟んで、宮市原を近藤家が開田したという講演。
さらにたたら研究で功績を残された影山猛先生のご功績を偲ぶ講演。

江府町の皆さんのお力添えもあって、思った以上の人出でした。
広場に出てみると、たたらも炎を上げて、ヤマタノオロチのように頑張っておりました。
十分な広さと防火鉄板で囲われた中での操業です。
ryuu

最後に、ケラの出来具合予想の近似値を出した人たちへの授賞式で終わりました。
今年は上位に広島の方が二人も入っておられ、おどろいちゃいます。
そして
な、なんと、重大発表があります。
それは11月中頃にマスコミ発表だそうですのでしばらくお待ちください。
季節君の意地悪ではなく、日本国政府が発表するまでフライングはいけませんとのことです。
  
しばらくおまちください   
(昔のテレビではしばらくお待ちくださいがよく出ましたよね)

ふいご祭りをします

恒例のふいご祭りをします。 今年は会場を江府町にして防災情報センターで行いますので皆さん来てくださいね。
tatara

今日も会議をして、いろいろ施行を凝らそうと思っています。
とりあえず第一報でした。

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