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2017年09月

津山城に行きました

童子切を勉強していたら、江戸時代には津山城に保存されていたということがわかりました。
越前から転封したきた松平家の持ち物だったのです。

日野から車で一時間半ほどです。
意外と近いところに童子切があったのですね。
明治までここにあったのに惜しいことをしました。
(なにが惜しいのか、季節君にもよくわかりませんが、、、)

駐車場に車を止めて歩きます。
かなり歩きますが、お城の大きさは櫓や門が多かったので、姫路城より大きい城郭であったそうです。
大きな石垣があります
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まだあるきます
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まだ石垣です。
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そしてやっと、櫓
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くたくたになりながらも、登ります。
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こんな感じで城郭は配置されていたそうです。
しかし、明治六年の廃城令で取り壊されました。
なんということでしょう。
しかし、維持費が莫大にかかるので、おそらく長くは残しておけなかっただろうと予想はします。
櫓も再建されたものでありました。
あちこち興味深そうに見ていたら、ガイドさんがいろいろと教えてくださいました。
やはりこう言った歴史遺産のガイドは、きちんと知識を持った人がぜひ必要だなと強く思いました。
ガイドさんありがとうございました。
ここに童子切があったのかと、感慨に浸りながらの小旅行でありました。

ただいま、米子市美術館では大山の魅力~特別展示 鳥取県ゆかりの刀剣 をしています。

今日は、研ぎ師の森井先生の講演会に行きました。

午前も、午後も予約は早々に締め切られたようです。

季節君は日本刀については素人なのですが、少しでも知っておくことが必要であろうと、講演会に行きました。
鳥取県はよい鋼ができたので、刀鍛冶も立派な人が多く出たようです。
一番最初が 伯耆安綱ですよね。
安綱一門も、真盛、守綱、貞綱など多くの名人がいたようですが、古刀のなんともいいがたい、重厚さがあるそうです。
そう思ってみると、1階展示の安綱もすごいなって思ってしまいます。
きらびやかな美しさより、重厚さがあるなって、素人ながらに思いました。
そして思っていたより細身なのが印象的でした。
他の展示してある刀が大きかったから、相対的にそう思ったのかもしれません。
それから、茎が少し短い感じがしたのは気のせいでしょうか。

講演でのお話で印象的であったのは、印賀鋼を代表としてよい鋼があったから良い刀ができたと言うお話。
浜部壽格は因藩の刀鍛冶ですが、二度、江戸へ出ています。
そして打った刀には、以伯州鉄 と刻まれたものがあります。
わざわざ伯州鉄と刻むからにこれは、江戸で印賀鋼を使って刀を作っていただろうという事。
うれしいではござんせんか。

ヤッルゥ!o(*>▽<*)o

ほかにも多くの刀鍛冶を生み出してきた鳥取県ですが、その背景に良質な鋼があったことを見逃してはなりません。


野だたらの遺跡調査

日野町久住に野だたらの遺跡があります。
どうやら40年前の鳥取県教育委員会の調査時には地元からの情報提供でわかっていたようです。

それをこの度、島根の角田先生が再調査されることになりました。
日野町だけではたたらの十分な調査が難しいのです。

季節君とインディーさんも調査に行くことになりました。
もちろんインディーさんは調査員として、季節君は野次馬としてです。

測量資材を季節君も抱えて、山を登ります。

そして出たのはこんなところ。

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山を切り崩して平地を作っています。
切り崩された山は壁山となります。
そして進入路が両側にあり、その脇には小山ができていました。
それは、カナクソを積み上げたものでした。

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測量用の杭が立ちません。
そこには大量のカナクソとともに、炉壁までもが捨ててありました。
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中央にはくぼみがあり、本床があったのがわかります。
平地全体の広さは10×10くらいだったでしょうか。
炉からカナクソまでの間が近すぎるので、大きな建築物は立ちません。
典型的な野たたら。しかも保存状態がとても良く地形はそのまま残っていると言っても過言ではありません。
たたらファンにとっては興奮の遺跡でありました。

ヤッルゥ!o(*>▽<*)o

詳しく測量して地形を図面に落とすのは専門家の仕事。
季節君は報告書ができるのを楽しみにしています。

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